2013/05/21

激安の殿堂に行ってきたの巻

 
仕事の帰りに、ウイスキーとシェービングフォームを買うために、武蔵境の玉川上水ぞいにある激安の殿堂に寄ってみました。

あの店、以前も何回か入ったことがあるんだけど、すべて深夜で客がほとんどいなかったんだ。夜遅いのに幼児を連れた夫婦がいたりして、なんだかなーと思ったりしたけど、さほど驚きはなかったの。

いやあ、今回は衝撃を受けましたね。

夕方に入店したら、店は満員。本当に満員で、立錐の余地もないくらいなんだよ。お客さまがすべてヤン、いや、ふだんお付き合いのない人ばかりでまず驚いた。あれだけ集まっているところを見たことなかったんだ。
 
酒売り場はものすごくごった返していたので購入を諦め、シェービングフォームを見に行ったらあなた、売り場の前に若い女性が7・8人しゃがみこんで、むだ毛そりやらへんなコロンやらを手にしてしゃがんでいるの。黙ってしゃがんでいるの。通路を通れない。
驚いたのは、彼女たちは移動するときも立ち上がらず、うんこ座りのまんまでのそのそ動くんだよね。だんご虫みたいだ。おまけに全員、背中とパンツとおしりのはじまりが見えているの。おいおい。

欲しいかみそりの刃を探したんだけど、商品の間にコンドームの袋が散乱してて(何でよ!) まずそれを片付けなければならない。このあいだの土曜日に、朝日新聞の人生相談で岡田斗司夫が答えてた「理解できない相手はインド人だと思いなさい」という至言を思い出すもどうもうまくいかず、いいかげん嫌気がさして店を出ると、自動ドアのおもてに入店したときに見たアベックがいて、この2人はゲバゲバ90分でハナ肇が演じるあっと驚くタメゴロー(検索してね)みたいな風体をしてて、へんな人たちだなあ、と思っていたのだが、いきなり女が男の頬を平手打ち。
 


驚いたねえ。女は何か喋ってるんだけど、何を言ってるのかまったく分らない。男の返答も意味不明。最初は日本語ではなくアジア諸国の言葉かな、と思ったんだけど、名詞も助詞も外国語ではなさそう。私は気づいたんだ、こいつらは地底人なんだよ。間違えて地上に出てきちゃったの。

とにかく刺戟的な経験でした。○ンキ○ーテ万歳。武蔵小金井の長崎屋が○ンキになるんだってね。もうどうでもいいや(笑)。
 
 

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2011/07/18

地デジ化のちょっとした弊害

 
連休中日から、息子が高熱とひどい咳でフラフラになっている。目やにが大量に出ていて、調べてみるとどうやら「プール熱」という感染症のようだ。正式には咽頭結膜熱というらしい。子供のころ、学校の健康だよりなどに載っていた記憶があるが、こういう病気だったのか。

 
横になっている子供と、テレビの歌番組を見る。

 
昨年、地デジのテレビを購入。画像の鮮明さには驚いたものの、音の悪さには閉口した。考えてみれば、あの薄さの筐体の中にスピーカーを入れてるんだもんね。

ブラウン管テレビだって安物のスピーカーだったんだろうけど、ハコが大きいから、そこそこ響いていたような気がします。音楽番組やビデオを見るときは、オーディオシステムにつないだりして楽しかった。地デジのTVをアナログのアンプにつなぐと音がずれちゃうし、いいことないよ。

意外な影響がひとつあるのです。学校でビデオを見せるときの備品のテレビも、だんだんと薄型ハイビジョンにチェンジしつつあります。これが低音が全然出なくて、教室の後ろまで響かないんですよ。ボリュームを上げてもキンキンするばかりで、けっこう困っています。巨大なブラウン管テレビがいくつか残っていますが、まだ処分しないで欲しいなあ。

 
 
少女時代という人たちが歌っているのを初めて見た。こう言っては何だが、その昔、ソウル市内の東にある、日本でいうと上野みたいなターミナル駅のすぐそばに、こういう格好のいい女性たちが大勢いらっしゃいました。なんだかとっても懐かしいぞ。
 
 
 
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へんなネガが出てきました。駅ビルができる前の国分寺駅。
真鍮の手すりだった、せまい跨線橋が懐かしい。
 
 
 


 

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2011/07/14

夏になっちゃったよ

 
暑いせいか、右足の付け根の微妙な部分が妙にかゆい。

 
戸棚をあさっていたら、残り少なくなったムヒが入っていたので、患部に塗布してみた。いい気持ちである。

戸棚には未開封のボトルがもう一本あったので、こちらはわたくし専用にすることにした。取り違えを防ぐために、極太のマジックインキで「ふぐり」とラベルに大書し、食卓においておく。


 
お久しぶりでございます。近況報告を少々。


7年ほど記事を連載しておりました東京の散歩雑誌「荷風!」(日本文芸社)が、ついに休刊となってしまいました。
 
ネット上でもこの事態を惜しんで下さっている読者の方々がいるようです。書き手のひとりとしても非常に残念であります。編集長ともども今後の作戦を練っておりまして、どうやら形をかえてまたお目にかかる機会がありそうです。ご期待ください。

 
7月後半は、久しぶりに南西諸島にゆく予定です。一昨年から引っ越しにともなう買い物で、ずいぶんとUAのマイルがたまったので、全日空の国内線で使うことにしたのです。
 
息子も航空券が必要な年齢になってしまいました。しかし八重山は遠いなあ。チケットをふつうに買うと、親子三人で往復30万超だもんね。

 
個人的には、書き下ろしの企画がいくつか進んでおります。今年の夏は計画的に仕事をしないと、あとで大変なことになりそうな予感。注意せねば。


 
 
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2011/04/10

ツィッターてのは

 
当たり前のことながら、自分にまったく縁のない、興味の埒外にあるつぶやきに目を通すことはあんまりないわけです。


地震直後、NHK広報局というところが、こんな面白いツィートを流していた。
 
 
最近より一層分かってきたこと。

1) プロフィールは読まれない。
2) ツイートは予想外のタイミングで読まれる。
3) ツイッターをチャットと思っている人は意外に多い。
4) ツイートは届いても、文脈は届かない。
5) 各人のタイムラインは異なる、を忘れがち。

6) ツイッターは本気で使うものではない。

 
 
激しく同意します。特に5には注意。
 
 
今回の地震に関する情報の錯綜を目の当たりにして、つくづく感じました。自戒を込めて言うのだが、時間のある人、フリーランス度の高い人ほど、パニックに陥ったり情報の海に溺れやすい。ふつうの勤め人は、そんなにネットばかりやってられないものね。
 
 

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2011/04/08

節電のお願い

 
小石川界隈の取材と撮影にゆく。いつものように、春日通りで区営のレンタサイクルを借りる。文京区内の坂をあちこち上り下りするのは楽しい(疲れますが)。

区内の小中学校は、ちょうど入学式でした。桜の花と、真新しい制服と、スーツ姿のお父さんやお母さん。たいてい暑くて風が強いんだよね。入学式の日って。
 
 
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節電で、駅のエスカレーターの多くが止まっている。
 
広い階段の端にエスカレーターをくっつけただけの昔と違って、都心部の駅では階段スペースの方が狭くなっている場所が多いから、列車の到着時には混雑して大変である。止まっているエスカレーターは非常に歩きづらいが、上りだけでも解放できませんかね。健康な人は利用しそうですが。
 
 
 
帰り道、西武新宿線・花小金井駅のプラットホームで。 
 
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駅前風景。照明の暗さにもすっかり慣れた。
 
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というか、これくらいの方がいいですよ。大勢の人々で賑わう繁華街はともかく、郊外の駅前が馬鹿みたいに明るい必要はないと思う。
 
 
どうやら計画停電が竜頭蛇尾に終わりそうだ。もちろん、国民や企業の努力で電力使用量が押さえられているのだけれど、「意外と節約できるじゃないか」と多くの人々が気づいてしまったという点で、東京電力のブラフは失敗しましたな。
 
 
CMで国民に節電をお願いしながらも、うまくいってしまうと困る電力会社の矛盾、というか欺瞞。何だかねえ。
 
 
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2011/04/01

プレお花見

 
妻子と小金井公園へゆく。桜はまだまだです。

 
今年は恒例の桜祭りが中止になりました。都立公園ですが、ここはお花見自粛令が出ていない模様。おおぜいで騒ぐ花見ってのはあんまり参加したことがありませんが、夜間のライトアップ以外は、別に構わないんじゃないかと思いますけどね。
 

というわけで、いつものように最寄りの生協でつまみを買って、お酒持参でサイクリングです。
 
 
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江戸東京たてもの園。半旗ですね…。
 
 
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ありゃりゃ、高橋是清邸裏の石灯籠が。これ、結構大きいんですよ。
 
 
人の通らない場所でよかった。石灯籠や五輪塔は、基本的に石を重ねて置いているだけだから、地震に弱いですよね。上野公園にお化け灯籠というのがあるが、あれは大丈夫だったのだろうか。 

 
園内はガラガラ。売店がぜんぶ閉まっていて残念である。平日でも、春休みシーズンはやっていた気がするんだが。やっぱり客が少ないとねえ。

テーブルで呑み食いしていたら、雷鳴とともにパラパラと雨が降ってきました。しかたがないので、誰もいない休憩所に移動して、節電中の薄暗い明かりの中でしょんぼりと食事。

 
 
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うどん屋で2次会です。
 
 
この博物館、現在は立派なうどん屋ができて、ビジターセンターにもカフェがあったりしますが、開園当初は高橋是清邸の1階が喫茶室になっていました。
 
これが素晴らしかったんですよ。冬の雨や雪の日に、妻とよく行きました。たいていほかに客がおらず、窓の外の風景を眺めながらのんびりとくつろぐことができたのです。展示建物の中で唯一「生きている」感じがしたんだけど、ああいうのはもう難しいのかね。
 
 
 
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カタクリの花が咲いていました。
 
 

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2011/03/29

原子力発電の思い出 その2

 
前回の続きです。何度もいいますが、実に恥ずかしい思い出です。
 
 
広瀬隆の著作を読み続けた私は、政府の嘘、電力会社の嘘に慄然とした。事故の恐ろしさよりも、「平気で物事を隠し、嘘をつくえらい人たち」に恐怖したのだ。国内の消費電力量の嘘、発電コストの嘘、さらには立地予定地に大量に投下される交付金の現実と、使い捨てられる原発労働者の人々などなど。

私は思いましたね。どうしてこの問題が報道されないんだろう。

さらに考え、イライラはつのります。親も教師も友人も、誰もこの問題を知らない。知ろうともしない。
 
 
みんな馬鹿ばっかりだ。

 
そう、これって、一種のエリート意識になってしまうんだよね。

また、「こいつらはどうして問題意識をもたないのか」という焦燥感は、中途半端な社会運動家が(私は全然運動してないんだけど)陥りがちな精神状態なんだろうな。

余談だが、昭和20年代の後半、新劇の俳優の間で共産主義運動が盛り上がり、小劇団に次々と日本共産党の細胞(支部)が誕生して劇団首脳部と対立したという。メンバーの多くは日のあたらない下積み劇団員で、首脳部の看板役者をつるし上げ、「革命が起きたら、人民裁判でお前たちは死刑だ」と言い放ったらしい。当時の世相で、すぐにでも社会主義政権が誕生する錯覚をもっていたんだろうね。
(のちの学生運動でも、冷戦下の反核運動でも、同じような人々が登場して『選ばれた者の立場からの』勘違いを繰り返すのだ)


 
 
原子力発電所の話に戻ります。

 
原発事故は怖いけれど、どうもすぐには起きそうにない。社会は何ら変化がなく、日々同じような日常が続く。空を見上げれば、いつもと同じ明るい太陽。街をゆく楽しげな恋人たち。どうして自分だけがびくびくしながら受験勉強しなければいけないんだろう。くやしい。
 
そして、ついには思ってしまうんだ。

 
事故が起こって、みんな苦しめばいいのに。


どうです。いかにもダメダメな10代らしいでしょう。

まあ私は小心者だったから、そう考えながらも、罰当たりだな、と反省はしたんです。やっぱり死にたくはないし、平穏な暮らしが失われるのは嫌だ。
 
あとから考えると、これを本気で突き詰めていった集団がオウムなんだよね。あの組織の中心にいた人々のすさまじいエリート意識と、狂った使命感は凄かった。

 
そんなこんなで、いろいろ考え続けているうちに、私はもう原発について考えるのに、もうくたびれ果ててしまったのである。平和な世の中で恐怖や不幸について長い間考え続けるのは苦痛だし、本当に空しい。おまけに、社会に出て仕事につけば、誰だって当然ながら浮世のことで精一杯になるのだ。

 
あれから20年以上たちました。私がこの間にしたことは、原発を推進している政党に投票しないことだけだった。イデオロギーには全く興味がないが、これだけはずっと自分自身のルールとして守ってきた。
 
 
さて、最後に広瀬隆という人について。

彼の2冊目の原発本『東京に原発を!』(JICC出版)は、かなり話題となった。この本は前著とほぼ同じ内容ながら、イラスト多用した、非常にわかりやすく、かつエキセントリックな仕上がりとなっていた。主張は正しかったと思うし、現在再評価されるのは当然なのだが、どうしても好きになれない。この人物の本質はアジテーターなのだ。
(核実験場とハリウッドスターの死の関係を追った『ジョン・ウェインはなぜ死んだか』も面白かったけれど、やはり何年か経って読み返したら、煽動的な構成が気になって仕方がなかった)
 
彼の本は焦燥感を駆り立て、読者を不安にするだけで、どうしても前向きな印象を受けることはできなかったのである。

 
ツィッターで、彼が出演した番組の映像を見た人たちがリツィートしあっているのを見たが、もう恐慌状態になってるんだよね。何たって、実際に事故が起こってるんだから、その精神的破壊力は私のころの比ではない。なんかもう、救いがなくて気の毒になってしまう。


ドイツの州議選で与党が歴史的大敗をし、反原発を掲げてきた緑の党が勝利した。今後しばらくはこのような動きがヨーロッパを中心に広がるとは思うが、結局は原子力発電をやめない国が多いと思う。
原発の是非以前に、日本という国の原子力行政のあり方とその運営が、ありえないくらい特殊かつ杜撰だった、いうことで収束するんじゃないかな。われわれはもっとうまくやれる、と。あっちは合理的な人も多いしね。
 
http://www.francemedianews.com/article-70296514.html
必読。
 
 
この状況を、日本人の手でどれくらい変えることができるだろうか。

今回の災禍のツケは東電ではなく国が負担する。つまりは国民の税金でまかなうことになる。
 
 
私は文句を言わず支払う。
日本のエネルギー政策が変わるのであれば、どんなに税金が上がっても払う。
 
声をあげなかった人間のひとりとして、黙って負担に甘んじる。
 
 
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2011/03/28

原子力発電の思い出 その1

 
事故から2週間以上経っているのに、相変わらずの対応に終始している東京電力や原子力保安院という組織には本当に驚かされる。
 
無能なトップや幹部が退場して、適切な情報公開とともにてきぱきと仕事をすすめることのできる、「実務」のプロフェッショナルたちが、そろそろメディアに登場するのではないかと期待していたのだが、どうも駄目みたいだ。どんな組織でも、そういう人材が必ずいるもんですが。

 
さて、今回から原発に関する、私自身の思い出をお話します。自分の中では思い出したくない、かなり恥ずかしい話です。

 
広瀬隆の著作を初めて読んだのは高校生のころである。『原子力発電とはなにか…』という解説本で、仲のよかった従兄弟が貸してくれた。たしかA5版くらいの、ブックレットといった体裁の本だった。同じ年に『東京に原発を!』(jicc出版。現在の宝島社である。懐かしい)が出版されているが、こちらを買ったのはもう少しあとだった記憶がある。
 
この本には影響されました。高校の政治経済のレポートでも、保健体育のレポートでも国語の感想文でも、このテーマについて書いた覚えがあるもんね。内容はといえば、まさに今回のような大事故の可能性、というか必然性を予見したもので、政府の原子力行政と電力会社の矛盾と嘘をわかりやすく指摘したものであった。面白かったのは、彼らが提示する資料から矛盾点を指摘していることだった。これが実に説得力があったのだ。
 
 
2年の浪人生活ののちに大学に入り、私は新しい友人とふたりでゴールデンウィークに国内旅行に出た。
忘れもしない、あれは名古屋の近くを走るローカル線の古いディーゼルカーの車内でのことだ。ボックスシートの前の席に座っているおじさんが読んでいた、読売新聞1面のヘッドラインで、私はチェルノブイリの事故を知ったのだった。1986年5月1日のことである。
(この時点で事故から1週間近くたっていた)

 
ああ、原発の大事故が起こったんだな、と思いながらも、私はあんまり心が動かなかった。

 
「いいんだけど、ちょっと説教くさいよね」 と、インディーズ好きの仲間と話していたブルーハーツが『チェルノブイリ』 を出したのが1988年の夏。RCサクセションが『COVERS』 を出したのも、その年の夏。反核・反原発が若い人の間でそれなりに盛り上がり、『アトミック・カフェ』 の再上映会などが都内で催されていた。

 
感心はしたが、どうもその『お祭り』に参加することには躊躇があった。


理由は簡単だった。私は高校・浪人の時期に、原子力発電について考えることにくたびれ果ててしまっていたのである。


次回に続きます。
 
 
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2011/03/25

藤波心さんの意見表明について

 
http://ameblo.jp/cocoro2008/entry-10839026826.html

ここっぴーのへそっぴーですよあなた。
 
 
いやあ、感心した。中学校で教えていると、授業中に発言しなくても、レポートでこういうふうにしっかりと自分の意見を書いてくれる子がいるんだ。

コメント欄がすごいことになってるんだけど、13歳の女の子を相手にヒステリックになっている輩は論外として、原子力の必要性を今回の災禍以前の常識で説いている人が多いのに驚かされる。原発と他の発電方法の稼働率の推移や消費電力量など、ちょっと調べれば分かることが多いのだが。

何にせよ、電力の大量消費時代が終わったことは明らかである。江戸幕府の瓦解や敗戦のときと同様に、日本人は新しい時代に入ったのだ。

変な話だが、頭のいい人、目先のきく人の中には、脱原発時代に舌なめずりしてる人もいると思うよ。そういう人が、新時代の岩崎弥太郎になるんだろうね。
 
 

 
 

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2011/03/23

要は日本でも生水がのめなくなったということで。

 
「ひさしぶりにガソリン入れて灯油を買えたと思ったら、今度は水だよ水。困ったなあ」
 
「うちのは(3歳児)あんまり水のまないよね。牛乳ばっかりで」
 
「牛乳がまた品不足なんだよな。そうそう、炭酸水もそのうち品薄になるんなろうねえ。ハイボールが作れなくなると困るよ」
 
 
「さっき、タンクローリーが通りを走ってたでしょ」
 
「タンクの上に、腕にボウガンはめたモヒカンの男が乗ってたか」
 
「なに言ってんのよ。ガソリンの輸送車じゃなかったみたい。どういうわけか、モンドセレクションのシールが車体に貼ってあったの」
 
「なんだいそりゃ。タンクにジュースでも入ってるのかな」
 
「そうだと思う」
 
「みんなで乗っ取って積荷を奪ったりしてね。中身はなんだろうな。カルピスの原液だったりして」
 
「それじゃ水で薄めなきゃ駄目じゃない」
 
「そうか」
 
 
 
 

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