2009/04/28

明日の神話

 
先日、取材で代々木体育館にいきまして、内外のデザインを改めて堪能してきました。ロビーにある岡本太郎の作品をじっくり鑑賞できて楽しかったです。この人と丹下健三とのコラボはけっこうありますが、考えてみれば、元来モダニズムの丹下と岡本太郎の作風は水と油なんだよな。
 
さてさて、渋谷マークシティの連絡通路に『明日の神話』 が展示されてから、はや5ヶ月。

 
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公開されてひと月ぐらいしたころに見に行きました。やはり足をとめて携帯のカメラで撮影していた人が多かったです。スペースにもう少し引きがあれば、頭をめぐらせずに全体像を見ることができるんだけどね。

 
この壁画を見てつくづく思ったのは、通勤で渋谷駅を利用していなくてよかったということである。

力強く素晴らしい作品だと思う。しかしねえ、この絵はわれわれへの警告なわけでして、通勤の行き帰りにいつも見上げるのはかなり辛いだろうと思うのだ。黒澤明の『生きものの記録』(1955)を、毎日イスにくくりつけられて見せられるようなものである。
 
「見なければいいじゃん」 と言われればそれまでだが、おそらく私には無理だ。メデューサに睨まれた兵士のように、この絵の前で朝に晩に硬直してしまうだろう。

『明日の神話』 は岡本太郎57歳のときの作品。枯れた味わいなどというものとは一切無縁、剛腕一本勝負の大作である。黒澤作品を例にあげたけれど、個人的には、こういう場所に飾る作品なら、『夢』 とか、『八月の狂詩曲』 くらいのメッセージ性がちょうどいいのではないかと思いますが、いかがでしょう。

老いを重ねてもなお、あのテーマに拘泥した黒澤も凄いんですがね。 
 
 

 

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2009/02/10

ストリームラインという悪夢 その2

 
ずいぶん間があいてしまいましたが、流線型のお話の続きです。

昭和40年代、『自動車の美学 流体力学によるデザインの採点』(光文社) という本が出版されていた。戦前戦後の自動車のデザインの変化を一般向けにわかりやすく解説した好著で、かつて一世を風靡したカッパブックスの1冊である。著者の樋口健治氏は機械工学の専門家。高齢ながら、現在も東京農工大の名誉教授として活躍されているらしい。
そういえば、ノベル以外のカッパの本って、あまり本屋で見なくなっちゃいましたね。多湖輝の『頭の体操』 シリーズあたりが世代的には懐かしいですが。
 
これは私の自動車趣味の原点となった本でありまして、小学生の頃に叔父の家から拝借して30年間借りっぱなしのまま、いつのまにか形見になってしまいました。

 
樋口先生によると、今世紀の車のデザインは、

マッチ箱型(T型フォードのような四角い車。馬車の形から脱していない)
カブト虫型(高速化をめざして背が低くなり流線型へ)
ボート型(いわゆる3ボックスタイプの登場。ステップ式のフェンダーがなくなる)
サカナ型(ボート型の流線型化。ファストバックスタイルの登場)
クサビ型(空気抵抗をさらに低くする試み)

の順に発展しているのだという。

いやもう、目からウロコが落ちましたね。工業デザインというものが、必然性があって変化していくということを初めて知った。「虚飾は滅びる」 という実例として、1950年代の過剰デコレーションのアメ車にもしっかり言及があり、口絵写真では見たことも聞いたこともないような古い車が紹介されていて、どれもこれも実に魅力的だった。
ちなみに、私がこの本に熱狂していたころ、世は空前のスーパーカーブームでありました。ランボルギーニ・カウンタックだ、フェラーリBBだ、と盛り上がる友人たちに、「1938年型のタルボ・ラーゴはすごいよ」 とか、「ダッジ・キングスウェイのテールフィンはバランスが悪くてさ」 などといっても、まったく理解されずに悲しい思いをしました。

さて、もっとも面白かったのが、1920年代から30年代のクルマの解説だった。エンジンの性能がアップしてスピードが上がると、空気抵抗の克服が課題になりはじめる。風洞実験から、先端部を丸く、後部をとがらせた形状がもっとも高速化に適しているという結論に達するのだ。この時期に研究をすすめた技術者の多くは航空機の設計者だった。
(前を丸く、後ろを伸ばしたデザインは、考えてみれば飛行船のスタイルそのものである)

無骨なマッチ箱型だった初期の自動車からカドがとれ、グリルは丸みを増し、後部のトランクも流れるような流麗なデザインとなっていく。流線型自動車の登場である。大空を飛翔する鳥には、水中を進むサカナには、余分なパーツというものがない。自然に学び、必要ない部分を削り取れば、もっとも機能的な形状に達するであろうという理屈だ。

ところが、この発想が妙な方向にひろがってゆくんですな。先進的なイメージだけがもてはやされ、建築物や家具・電気製品、はては女性の下着にまで流線型と称するものがあふれるのである。
実に馬鹿馬鹿しい話であるが、しかし一方で、この空前の大流行は、社会に危険な兆候をもたらすことになった。機能性、合理性を賞揚することがある種のスローガンになり、異物や他者を「科学的に」 排除する論理に直結していくのである。これを最も政治的に利用したのがナチスドイツであり、意外なことにアメリカでも、人種差別や優生学的選別といった点での理論的裏付けとなってゆくのである。
(もっとも、排他主義の点ではコミュニズムの教条性もまったく同様で、ナチスのバウハウス弾圧なんぞ、近親憎悪としか思えない)

さて、われらがEF55型機関車はどうだろう。こういっては何だが、従来からある方形の車体の先端に、流線型の部分をとってつけたようなデザインである。この時期は流線型の蒸気機関車や電車もいくつか製作されているけれど、後発国日本の限界なのか、どうも欧米の流行を表層的になぞっただけのように思える。まあ、それが面白いといえば面白いのだけれどね。
 
ただ、1930年代以降のドイツへの傾倒(当時の日本の雑誌でさかんに紹介されているドイツの姿は、どれもこれも来るべき世界、未来国家のようなイメージである)、そして大陸進出への流れを考えると、この流線型の時代の影響は多分にあるように思えるのだ。なぜなら、戦前の日本の鉄道車両の頂点を極めたのは、かの南満州鉄道の誇る巨大な流線型蒸気機関車、パシナ型なのだから。
 
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2009/01/23

ストリームラインという悪夢 その1

 
「鉄道の写真を撮ってきたそうで」

「うん。トラベルライターの白川淳さんに誘われて、群馬の取材に同行させてもらいました」

「『全国保存鉄道』(JTBパブリッシング)のシリーズで有名な方ですね。しかし、ヘロオカさんは電車の写真って撮ってましたっけ」

「鉄道写真自体を目的として出かけるのは、小学生のころに東京駅に行って以来かな。そのころ、寝台列車を撮るのが流行ってたんだよ。オリンパスペンや110カメラをかまえる少年たちの間で、父親のニコンFを首から下げて、駅員に怒られながら東海道線のプラットホームを行ったり来たりしてたね。あのカメラはフィルム交換が難しくて」

「嫌な子供だなあ。それって、今や絶滅寸前のブルートレインってやつですね。今回はまたどうして」 

「新しく買ったカメラのためし撮りというのもあるけど、鉄道の入った風景の写真を撮る練習をしたかったんだ。地方取材のとき、コトコト走っているディーゼルカーなんざを構図の中に入れてみることがあるんだけど、ふだん撮っていないもんだから、どうにも冴えない絵になってしまうんだね。鉄道ファンの人は実にきっちりとした写真を撮るからさ、ロケーションやセッティングなんかを参考にしようと」

「建築ばかり撮ってますもんね」

「建物は動かないからなあ。それと、もうひとつ理由があるんだよ。今回の撮影対象は、非常に古い機関車なんです。戦前の」

「SLですか?」

「いや、電気機関車。EF55形といって、1930年代に登場したものです。東海道で特急列車の先頭に立ってた車両で、戦後は国分寺にあった国鉄の研修施設に保存されていたの」

「ヘロオカさんちの近くですね」

「そう。中央鉄道学園というところで、ときどき地元の人々に公開していたらしいです。残念ながら見にいったことはないんだけどね。この機関車、20年ぐらい前に職員の方々がレストアして、走れるようにしたんだよ。ときどき臨時列車を引っぱって人気を集めていたのだけれど、いよいよ老朽化が進んで、大宮の鉄道博物館に展示することになったんです。だから今回が最後の運行」

「なるほど。で、写真の出来は?」

「たくさん撮ったんだけどさあ、もう散々だよ。列車が来たら慌てちゃってさ。ブレるし、そもそも写真傾いちゃってるし」

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(写真はクリックすると拡大します)
 
 
「へんな格好ですね」

「当時世界中で爆発的に流行してた、流線型のデザインなんだ。色といい形といい、何だか磨きあげた革靴みたいだよね。若いファンは『ムーミン』 なんて呼んでいるそうだ」

「ムーミンねえ。まあ、そう言われてみれば」

「先入観が強いせいか、私はそういうふうに可愛く見ることはできないけどね。だいたいこれ、怖くないかい?」

「え?」

「私、この機関車のデザイン、本当に怖いんだ。スプラッタ映画や幽霊みたいな生理的、根源的な恐怖ではないんだが」

「どういうことでしょう」

「何というかなあ、これほど時代背景を露骨に体現したマシーンは珍しいの。おまけに、現在も根強いある種の思想を内包してるんだな。だから一回、実物を見ておきたかったんだよ。新幹線のぞみ号の流線型とは意味合いがまったく違うんだ」

「大げさな話になってきましたね」

「インダストリアル・デザインってなかなか微妙でね。バウハウスに代表されるモダニズム建築を、かの美輪明宏大先生が雑誌で、『ああいう家に住むと発狂する』 と、口を極めて罵倒しているのを読んで大笑いしたことがある。あの人はマレビトであるからして、機能美や合理性の追求が行きつくところに当然気がついているんだ。そのへんの教養と視野の広さが美輪さんの凄みだし、もっとも魅力的なところなんだけど、テレビじゃ全然そういう話を披露してくれないんだよなあ。前世の話ばっかりで」

「はあ?」

「いや失礼。それでは、1930年代に流行った流線型、ストリームラインというものは何だったのか、ちょっと振り返ってみましょう」
 
 
次回に続きます。
 
 

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