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2013/05/17

小平市で住民投票

報道でご存知の方も多いかと思います。


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わたくしは実に40年、この街に住んでおります。実家と一人暮らしをしていたアパート、結婚後に借りた潜水艦の居住区のような集合住宅、そして現在の住まいも、きっちり半径500mにおさまってしまいます。
 
といっても、地域のコミュニティに参加したり興味をもっているわけではなく、知人友人もほとんどおりません。近所のスナックにボトルを入れて、仲間とカラオケでも楽しんでる地元愛のヤンキーパパのほうが、よっぽど街に貢献しているんだよね。とっとと家を出て、何やらワールドワイドな生き方をしている妹と対照的、実にコンパクトな人生であります。
 

そういえば、妹とはよく多摩地区ダメ人間論というので盛り上がりました。高度成長期に東京西郊に生まれ育ち、成績優秀でもなく、完全にドロップアウトする度胸もなく(なにせ実家があるから世を漂流する努力も覚悟も必要もない)、とくに理由もないのにダラダラと住み続けて、音楽やったりサブカル齧ってエラそうなことを語っている人間は、地方出身者にくらべてどうにも覚悟が足りないと。 
 

NHKの『あまちゃん』で、東京に憧れる女の子が登場しているけれど、地方から上京してきた方々とはぜんぜん気合いの入りが違うのである。宝島(懐かしい)読んでライブや店をチェックしてもたいして足を運ぶわけでもなし、若者の街にもどっぷり漬かることなく覗き見してるだけで充分、「隠れ家的な」とか「中央線文化」なんて言われると、なんだかとっても気恥ずかしくなる。
 
物書き稼業を始めて、多摩ダメ人間としてのウィークポイントを痛感するのだが、なかでも諦めの早さ、競争心のなさは致命的である。良寛さんじゃあるまいし、冗談でも「ホホ、負けるが勝ちじゃ」などと呟いてはいけないのである。

ただまあよかった点もありまして、正直なところ、多摩の中学生や高校生が20数年間、そこそこ興味をもって私の授業を聞いてくれたのは、同じような匂いを感じてくれていたのかもしれないんだよね。自分が学生のときもそうだったが、「面白い先生なんだけどなんか違うよね」と感じたのは、東京以外の出身者が多かったのだ。


さて、冒頭の話題ですが。

市のホールで行われた中沢新一と國分功一郎、いとうせいこうのシンポジウムを見に行きました。國分さんは件の雑木林の近くにお住まいらしい。しかし、いとうせいこうって人は全然変わらないね。
 
楽しかったし、いろいろ考えさせられた。何十年かかっても、道路って必ずできるんですよね。もう気味が悪いくらい。いつのまにか家がなくなって、行政の告知板が立つ更地になり、見慣れた風景がなくなっていく。
 

鼎談のなかでは、現地に住んでいて反対運動をやってきたというお年寄りのエピソードが面白かった。話をする行政側の相手は、いつでも若い人間なのだという。こっちはどんどん老いていくのに、半世紀にわたって、次から次へと替わってゆく若い担当者を相手にし続けているんだと。なんという恐ろしくも過酷な戦いであろうか。


民主主義の原点としての住民参加は納得するし、この一件で失われる緑を惜しむ方々がいることもわかる。しかし、私はこういった道ができるより、こちらのほうがしみじみと悲しい。

 
 
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これはわが家の近所。グーグルマップの写真で、数年前の姿。

右手の木々は牧場でした。現在はベビー洋品店とその駐車場に。左手はコンビニと駐車場。奥にはマンション。この写真に写っている木々はほぼ全滅。

最近、ストリートビューの画像を保存することが多くなってきた。代替わりで土地を売る地主さんが急増しているのか、雑木林が次々とマンションに、チェーンの外食店に変貌しているのである。小金井に長く住んでいる作家の黒井千次氏が、エッセイで同じようなことを書いていた。雑木林が失われ、近所の古い家の庭先の柿の木がなくなっても、心が痛むけれど何もできない、と。

私は日本各地の古い建築や町並みを眺め、記録してきた。これは「消えていくものを黙って見ている」ことの繰り返しだった。バブルのときの東京の大変貌も同じ。傍観者の自分は諦念。ただもう諦念。


何と言ったらいいかなあ、緑を残して、と行政相手に掛け合える人々は幸せだと思うのである。地主に文句を言えないし、言ったところで、彼らにもさまざま理由はあるわけでね。
ウグイスの鳴いていた屋敷森が消え、あとに書割りのような建売り住宅が並び、トンチキな住民が電飾屋敷の玄関先でパーティーをはじめても、こちらは黙って耐えるしかないのである。こういう人たちに限って、田舎に帰ると豊かな自然を満喫していたりするのだ。

地元で友人ができるなら、この郊外生活者の悲哀をしみじみ語り合える人がいいのだが。ほんとにそう思います。
 
 


 


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コメント

私は小平市民ではありませんが、先日、津田塾の前を走りながら、府中街道のあのクランク部分がなくなるイメージなのかと。八ッ場ダムと言い、翻弄されるのは住民です。ずいぶん前の計画がふってわいたように今ごろというのがあやしずぎます。☆あら、す●き街道では? 何年か前にシト●エンのことで相談した者です。その節はありがとうございました。税金高くなりましたし、修理も相変わらず大変ですが、まだ乗っています。先日は本国発注でグリルを交換しました。少しずつ見た目だけ新しくなります(違)八王子にいいファクトリー見つけてからだいぶ楽になりました。この車を運転したがっていた小学生の息子が社会人になり、乗っていますし。その約束だけは果たせたかな、と。

投稿: JINA | 2013/05/31 17:41

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