小平市というところは
政治学者にして「鉄学者」の原武史さんが、小平市の住民投票の結果について、
「小平市民」という意識より「西武沿線住民」という意識のほうが強ければ、花小金井、大沼町など、今回問題となった沿道に遠い町ほど投票率は低くなるはずだと思う。「沿線」と「沿道」の違いは大きい。
とつぶやいている。原さんの諸作を楽しんできたので、なるほどなあとは思うものの、市内東南部に住む人間としては、それほど西武沿線民という実感もないんだよね。花小金井駅を利用することが多いものの、JRの国分寺駅や武蔵小金井駅へのバスの便もいいので。
小平ってもともと水のない不毛の土地で、玉川上水完成後の開拓地だから、ふつうの町の発展のしかたと異なる点もあるのですね。また市の東西ではなりたちがずいぶん異なっています。
お百姓さんの土地がみんな東西に長いです。今でもこの名残はありまして、畑はみんなこの短冊形だし、地主が売って住宅地になったところもたいてい縦長です。近年の大規模マンションも南北に長いものが多い。東向きや西向きの部屋になるので、セールス的には弱点なんだろうなあ。周辺の市もそうですが、ゴルフの打ちっぱなしが多いのも興味深いところ。南北に長い緑のネットをあちこちで見るけれど、あれは地主が直接経営してるんだろうね。
この地割り図で紹介されているのは、江戸初期に開発された小平最古の開拓集落・小川村で、これが現在の小平市西部にあたります。ちなみに西武国分寺線は小川村の中心部を走る鉄道路線で、明治28年(1895)に開通している。開業当初は川越鉄道といい、実は西武新宿線や池袋線より全然歴史が古かったりする。
のちに完成する多摩湖線から東側は新開地で、江戸中期の開発された新田集落が分布します。
近年、花小金井駅周辺の変貌が激しいですが、実は江戸時代から小平の東部はニューカマーの街だったんだよね。
同じ新田集落でも、農民が直接開拓をした小川村と異なり、新田の配置もバラバラ。町人請負新田などさまざまな形の開発が行われ、投機的な土地売買を行うものもあらわれて、ちょっとした土地バブル状態だったようだ。無茶苦茶に張り巡らされた玉川上水の分水(今もほとんど残っている!)も、権利関係の複雑さを物語っているようで面白いのである。
結局、市内を走る縦軸の西武線2本、なかでも多摩湖線を境に、小平って東西に分かれてるんですよね。鉄道線路によるボーダー感って大きいから、近代に入っても発展の仕方が異なったのだろうと思う。つい最近まで街道沿いの屋敷森が多く残っていたのが市内の西部。戦前に広大な陸軍経理学校がおかれたり、あちこちに都営住宅が建設されたり、高度成長期には人口増加で東京一生徒数の多い小学校が生まれたり、早くから変化が絶えなかったのが小平東部。
今回の雑木林問題は、開拓のパイオニアの地たる、小平西部の出来事なのでした。原さんもおっしゃっていたけど、町別の投票率を知りたいなあ。
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