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2011/03/28

原子力発電の思い出 その1

 
事故から2週間以上経っているのに、相変わらずの対応に終始している東京電力や原子力保安院という組織には本当に驚かされる。
 
無能なトップや幹部が退場して、適切な情報公開とともにてきぱきと仕事をすすめることのできる、「実務」のプロフェッショナルたちが、そろそろメディアに登場するのではないかと期待していたのだが、どうも駄目みたいだ。どんな組織でも、そういう人材が必ずいるもんですが。

 
さて、今回から原発に関する、私自身の思い出をお話します。自分の中では思い出したくない、かなり恥ずかしい話です。

 
広瀬隆の著作を初めて読んだのは高校生のころである。『原子力発電とはなにか…』という解説本で、仲のよかった従兄弟が貸してくれた。たしかA5版くらいの、ブックレットといった体裁の本だった。同じ年に『東京に原発を!』(jicc出版。現在の宝島社である。懐かしい)が出版されているが、こちらを買ったのはもう少しあとだった記憶がある。
 
この本には影響されました。高校の政治経済のレポートでも、保健体育のレポートでも国語の感想文でも、このテーマについて書いた覚えがあるもんね。内容はといえば、まさに今回のような大事故の可能性、というか必然性を予見したもので、政府の原子力行政と電力会社の矛盾と嘘をわかりやすく指摘したものであった。面白かったのは、彼らが提示する資料から矛盾点を指摘していることだった。これが実に説得力があったのだ。
 
 
2年の浪人生活ののちに大学に入り、私は新しい友人とふたりでゴールデンウィークに国内旅行に出た。
忘れもしない、あれは名古屋の近くを走るローカル線の古いディーゼルカーの車内でのことだ。ボックスシートの前の席に座っているおじさんが読んでいた、読売新聞1面のヘッドラインで、私はチェルノブイリの事故を知ったのだった。1986年5月1日のことである。
(この時点で事故から1週間近くたっていた)

 
ああ、原発の大事故が起こったんだな、と思いながらも、私はあんまり心が動かなかった。

 
「いいんだけど、ちょっと説教くさいよね」 と、インディーズ好きの仲間と話していたブルーハーツが『チェルノブイリ』 を出したのが1988年の夏。RCサクセションが『COVERS』 を出したのも、その年の夏。反核・反原発が若い人の間でそれなりに盛り上がり、『アトミック・カフェ』 の再上映会などが都内で催されていた。

 
感心はしたが、どうもその『お祭り』に参加することには躊躇があった。


理由は簡単だった。私は高校・浪人の時期に、原子力発電について考えることにくたびれ果ててしまっていたのである。


次回に続きます。
 
 
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