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2011/03/29

原子力発電の思い出 その2

 
前回の続きです。何度もいいますが、実に恥ずかしい思い出です。
 
 
広瀬隆の著作を読み続けた私は、政府の嘘、電力会社の嘘に慄然とした。事故の恐ろしさよりも、「平気で物事を隠し、嘘をつくえらい人たち」に恐怖したのだ。国内の消費電力量の嘘、発電コストの嘘、さらには立地予定地に大量に投下される交付金の現実と、使い捨てられる原発労働者の人々などなど。

私は思いましたね。どうしてこの問題が報道されないんだろう。

さらに考え、イライラはつのります。親も教師も友人も、誰もこの問題を知らない。知ろうともしない。
 
 
みんな馬鹿ばっかりだ。

 
そう、これって、一種のエリート意識になってしまうんだよね。

また、「こいつらはどうして問題意識をもたないのか」という焦燥感は、中途半端な社会運動家が(私は全然運動してないんだけど)陥りがちな精神状態なんだろうな。

余談だが、昭和20年代の後半、新劇の俳優の間で共産主義運動が盛り上がり、小劇団に次々と日本共産党の細胞(支部)が誕生して劇団首脳部と対立したという。メンバーの多くは日のあたらない下積み劇団員で、首脳部の看板役者をつるし上げ、「革命が起きたら、人民裁判でお前たちは死刑だ」と言い放ったらしい。当時の世相で、すぐにでも社会主義政権が誕生する錯覚をもっていたんだろうね。
(のちの学生運動でも、冷戦下の反核運動でも、同じような人々が登場して『選ばれた者の立場からの』勘違いを繰り返すのだ)


 
 
原子力発電所の話に戻ります。

 
原発事故は怖いけれど、どうもすぐには起きそうにない。社会は何ら変化がなく、日々同じような日常が続く。空を見上げれば、いつもと同じ明るい太陽。街をゆく楽しげな恋人たち。どうして自分だけがびくびくしながら受験勉強しなければいけないんだろう。くやしい。
 
そして、ついには思ってしまうんだ。

 
事故が起こって、みんな苦しめばいいのに。


どうです。いかにもダメダメな10代らしいでしょう。

まあ私は小心者だったから、そう考えながらも、罰当たりだな、と反省はしたんです。やっぱり死にたくはないし、平穏な暮らしが失われるのは嫌だ。
 
あとから考えると、これを本気で突き詰めていった集団がオウムなんだよね。あの組織の中心にいた人々のすさまじいエリート意識と、狂った使命感は凄かった。

 
そんなこんなで、いろいろ考え続けているうちに、私はもう原発について考えるのに、もうくたびれ果ててしまったのである。平和な世の中で恐怖や不幸について長い間考え続けるのは苦痛だし、本当に空しい。おまけに、社会に出て仕事につけば、誰だって当然ながら浮世のことで精一杯になるのだ。

 
あれから20年以上たちました。私がこの間にしたことは、原発を推進している政党に投票しないことだけだった。イデオロギーには全く興味がないが、これだけはずっと自分自身のルールとして守ってきた。
 
 
さて、最後に広瀬隆という人について。

彼の2冊目の原発本『東京に原発を!』(JICC出版)は、かなり話題となった。この本は前著とほぼ同じ内容ながら、イラスト多用した、非常にわかりやすく、かつエキセントリックな仕上がりとなっていた。主張は正しかったと思うし、現在再評価されるのは当然なのだが、どうしても好きになれない。この人物の本質はアジテーターなのだ。
(核実験場とハリウッドスターの死の関係を追った『ジョン・ウェインはなぜ死んだか』も面白かったけれど、やはり何年か経って読み返したら、煽動的な構成が気になって仕方がなかった)
 
彼の本は焦燥感を駆り立て、読者を不安にするだけで、どうしても前向きな印象を受けることはできなかったのである。

 
ツィッターで、彼が出演した番組の映像を見た人たちがリツィートしあっているのを見たが、もう恐慌状態になってるんだよね。何たって、実際に事故が起こってるんだから、その精神的破壊力は私のころの比ではない。なんかもう、救いがなくて気の毒になってしまう。


ドイツの州議選で与党が歴史的大敗をし、反原発を掲げてきた緑の党が勝利した。今後しばらくはこのような動きがヨーロッパを中心に広がるとは思うが、結局は原子力発電をやめない国が多いと思う。
原発の是非以前に、日本という国の原子力行政のあり方とその運営が、ありえないくらい特殊かつ杜撰だった、いうことで収束するんじゃないかな。われわれはもっとうまくやれる、と。あっちは合理的な人も多いしね。
 
http://www.francemedianews.com/article-70296514.html
必読。
 
 
この状況を、日本人の手でどれくらい変えることができるだろうか。

今回の災禍のツケは東電ではなく国が負担する。つまりは国民の税金でまかなうことになる。
 
 
私は文句を言わず支払う。
日本のエネルギー政策が変わるのであれば、どんなに税金が上がっても払う。
 
声をあげなかった人間のひとりとして、黙って負担に甘んじる。
 
 
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