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2010/07/29

横浜新港埠頭

 
一昨日、福島の小名浜港で日本郵船の客船・飛鳥2を見物した話を書いたら、大学時代の友人が、新港埠頭に面白い船が寄航していることを教えてくれました。一般公開最終日ということで、昨日、妻子と母を連れて見に行きましたよ。
 
私の母親は若い頃、横浜港で内外の船を見まくってたそうで、声をかけたら「行く行く」 という返事。何でも10代のころにイギリスの巡洋艦にも乗ってるらしい。
 
 
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サグレス(N.R.P. SAGRES)

 
ポルトガル海軍の練習帆船です。初来日。
(写真はすべてクリックすると拡大します)
 
 
 
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帆船ってのは、どう撮っても絵になりますね。


実はこの船、第二次大戦前の1937年につくられた軍艦である。元はドイツ海軍の練習船。
 
 
 
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ハンブルグのブローム・ウント・フォス社は大戦後期、奇怪なスタイルの軍用機を次々と試作しては軍部に却下されていたことで、飛行機ファンにはよく知られている。もともとは造船メーカーで、ドイツ海軍の誇った巨大戦艦・ビスマルクもこの会社のフネである。
この帆船は戦後、アメリカに接収されたのちブラジルへ渡り、1960年代になってポルトガルが購入したもの。サグレスという船名は、このときに老朽化した先代の練習帆船の名を受け継いだそうな。

 
 
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帆に掲げたマルティスクロス(マルタ十字)は、大航海時代のポルトガルの船印。
 
 
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「ポルトガルのサグレスって、沢木耕太郎の深夜特急に出てきたよね」 妻が言った。

「そうだっけ?」

「大陸の端の岬の町」

すっかり忘れていた。帰宅後に読み直したところ、旅の終盤に登場しておりました。サグレスはユーラシア大陸の西端の地である。
 
 
 
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船首像は個人的には女神のものが好きだが、これは別格。
ポルトガルの王子・ヘンリー像(Prince Henry the Navigator)なのです。

 
高校世界史風に、エンリケ航海王子といえば記憶している人も多いかもしれない。1400年代の初頭、サグレスの地に航海学校を設立した人で、これは15世紀末、バルトロメウ(バーソロミュー)・ディアスの喜望峰到達や、バスコ・ダ・ガマのインド航路開拓を成功させるきっかけとなった。ポルトガルの大航海時代を象徴する歴史的人物である。

 
パンフレットを貰ったが、全長は89.5m、メインマストの高さは45.5mとある。乗組員は139人で、女性もいました。60人ほどが練習生だそうだ。


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います。
いません。

 
午前中にわれわれが乗船したときは、甲板にいたほとんどが若い水兵で、サングラスをかけたガタイのいいベテラン風の乗組員たちが、次々と下船していくところだった。横浜最終日だし、フネを若手にまかせて街へ繰り出したんだろうかね。すれ違ったとき妻が、「ものすごく香水をつけてる」 と苦笑しておりました。

 
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この扉の向こうで、居残りの乗組員がぎゅうぎゅう詰めで冷たいものを飲んでいた。扉が開いたら、凍えるような冷風が流れ出してきて驚いた。


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階段で手助けしてくれた格好のいいお兄さん。

 
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せっかく遠くから来てサービスしてくれてるんだから、
目ぐらい合わせなさいよ。


 
今回の来航は、日本・ポルトガルの修好通商条約締結150周年記念だという。パンフを見ると、MISSON OF 2010とあり、サンディエゴへの練習航海を兼ねて、チリ建国200周年のフェスティバル参加、上海万博のプレゼンスなどが並ぶ。実に1年に及ぶ船旅で、これはポルトガルのアジア到着500周年記念の航海でもあるらしい。

「アジア到着500年」というのが気になったので、世界史図表なんぞで調べてみたら、インドのゴアを占領したのが1510年なのですね。はあ。

 
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リスボン繁栄の礎を築いた植民地・ゴアが解放されたのは1961年。奇しくも、この美しい帆船がポルトガルの軍艦となった年でした。

 
7月29日、午前10時抜錨。次の寄港先は鉄砲伝来の地、種子島です。
 
 
 

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2010/07/27

福島浜通り

 
海へ遊びにいきました。

 
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3歳の息子の海デビューだったんですが、波を怖がっちゃって全然駄目。ひたすら砂遊びとなりました。
 
 
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岩沢海水浴場といいます。綺麗でした。
赤旗の向こうは波が高いのか、サーファー用です。
 
いい砂浜ですが、この海水浴場、南側はこうなっております。
 
 
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東京電力広野火力発電所。
 
 
なお、浜通りには福島第一・第二原子力発電所もございます。今回わが家が宿泊した宿も含め、このあたりは妙に公共施設が整っているような気がしますが、あー、まあいいや(注)

 
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注… 以前、取材で下北半島を訪問したことがあるが、「ようこそ六ヶ所村へ!」という看板の直後から、ボロボロのコンクリート道がいきなり高規格片側2車線道路になった。あれには驚いた。
 
 
 
往路に、「アクアマリンふくしま」 という水族館に立寄りました。そこにあったポスターに、2日後に小名浜港に客船が寄港するというニュースが。こりゃ帰りに見物しなければ、というわけで、

 
 
 
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飛鳥2

 
排水量50,142t、全長は240.8m。
 
どうやら東北クルーズの帰りらしい。先代の飛鳥はよく横浜港で見たものですが、2代目は初めてです。いやあ、でかいや。向こう側にちょっと見えるガラス張りの水族館より大きいのがお分かりでしょうか。戦艦長門より大きいぞ。
 
 
近年、「メガシップ」とよばれる、7万~10万tクラスの超大型客船が就航している。どれも船体の上にマンションが乗っているような構造で、正直言って船としての美しさには欠けるものが多い。
この船も同様のスタイルなんだけど、近くで見ると、けっこう前甲板が長いのね。意外。
 
 
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ちょっとした観光船並みのテンダーボート。

 
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後から。テラスは等級別なのかな。

 
この船は乗客が800~900人なのに対し、乗務員が400名だそうです。

 
昔、東京から釧路にゆく『ブルーゼファー』(注2)という近海郵船のフェリーに乗ったことがあります。2泊3日の航路で、「クルーズフェリー」と標榜しておりました。定員は700名くらいだったかな。
 
注2… ちなみにこれは2番船で、1番船は『サブリナ』といいます。なんでも社長さんがヘプバーンのファンだったそうで。
 
 
船内の手すりに干した手ぬぐいが並んでるとか、ロビーで楽しげにカップ麺をすする家族がいるとか、どこがクルーズやねんという感じでしたが、船自体はバブルの頃に気合をいれて造ったもので、内装は趣味もよく、美しいものでした。
 
 
でも、ホントの客船に絶対かなわないのは、やはり乗員数なのでした。このフェリーの乗客サービス員は3~4人でしたもんね。乗船のときにきっぷをチェックしてた人がコンコースの売店でおみやげを売り、夜にはハッピ着て船尾でとうもろこし焼いてたもんなあ。上甲板から船尾までまさに神出鬼没で、似た顔をした人が何人もいるのかと思いました。
 
 
飛鳥2のお客さんはやはりお年寄りが多く、外国人も目立ちました。客船寄航の港祭りっていいもんですね。

 
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2010/07/20

ゲゲゲの話と、『龍馬伝』補遺

 
NHKドラマの『ゲゲゲの女房』が好評なようで。

熱狂的な水木しげるの自伝ファンとしては見逃せないドラマでしたが、主演男優にどうにも違和感を感じ、ほとんど鑑賞しておりませんでした。地獄のニューギニア戦線からの帰還者には見えないし、なんか裏でたくらんでるみたいな感じの人なんだもの。松下奈緒はでかくてキュートですが。

何年か前、NHKスペシャルで、『鬼太郎が見た玉砕~水木しげるの戦争~』 というドラマをやりまして、そのときは水木さんの役を香川照之が怪演し(またかよ)、なかなか面白かった。ちなみに奥さんは田畑智子でした。


『龍馬伝』その後。

高杉役の伊勢谷、こりゃ顔演技の人だなあ。 
 

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2010/07/18

『龍馬伝』雑感

 
前半が終わったようですが、まだ脱落せず毎週楽しく鑑賞しております。ここで登場人物の感想を少々。

 
山内容堂(近藤正臣)

実際の山内豊信とあまりに年が違うのだけれど、すっかり見慣れてしまいました。
しかし土佐藩は大殿様と後藤しかおらんのか。乾退助あたりを出しとかないでいいのかね。
以前、品川宿の取材をしたときに、容堂公のお墓の撮影をしたんだけど、周囲はものすごく蚊が多く、逃げ回って階段を転げ落ちそうになりました。変なところにあるの。

後藤象二郎(青木崇高)

後藤という人物は、当人も息子も孫もどこか破綻した人物だったのは確かですが、あれじゃ狂人だよ。

岩崎弥太郎(香川照之)

このところ小綺麗になってしまいましたね。長崎に行ってからの銭勘定役に期待。
このドラマの登場人物の大半は維新前後に死んでしまうわけで、この人の家族だけはなんだかのんびり見ていられる。
ちなみに、岩崎家にいる弥太郎の弟・弥之助が、のちにクレイジー後藤の娘を嫁にします。ほんとにもう、公私ともにズブズブの関係なんですな。

弥太郎の妻(マイコ)

初登場のときは、オランダお稲が出てきたのかと思った。何だかリチャード・ギアにも見えるけど、可愛いらしいからいいや。
第一部・二部とも、冒頭で明治になってからの弥太郎が登場していますが、そのうちこの人が、鹿鳴館風の貴婦人姿で登場すると思います。

近藤勇(原田泰造)

初登場のシーンが良かった。私はバラエティは全然見ないので、役者で出てきても違和感なし。平井収二郎を演じた宮迫も頑張っていたけれど、原田泰造のほうが色気があって芝居向きである(この人は声もいい)。土方を演じている人もなかなかでした。

岡田以蔵(佐藤健)

土佐編が長かったもんだから、以蔵の拷問シーンの抱き石が毎週1メートル、2メートルと高くなっていくのを期待したんですが。
悪くはないんだが、何だかマンガかアニメのキャラクターみたいだったなあ。今回の出演で、この役者さんはものすごく得をしたと思うよ。

武市半平太(大森南朋)

大森南朋という人、ますます親父(麿赤兒)にそっくりになってきた。目を見開くともう同じ顔である。
しかし、牢屋に大殿様がやってきたあと、至福の表情になってしまったのにはいただけませんな。ああいう宗教的法悦みたいな中で死ぬんじゃ、例の壮絶な切腹をする意味がないではありませんか。

沢村惣之丞(要潤)

若手男優の中で、今回一番気に入っているのがこの人。ヅラ姿が不自然ではなく、面構えがいい。

お龍(真木よう子)

テレビや映画で10人以上の楢崎龍を見てきましたが、真木よう子は過去最高だと思います。毎回熱狂しています。人あたりが良かったり、健康そうなお龍なんて駄目だよ。
この女優さんのイライラと荒んだ感じが大好きなのだが、近年少々丸くなった気がする。妻に言わせると、お母さんになったからではないかという。なーるほど。
 
関係ありませんが、北乃きいという人からは、同じような匂いを感じます。

坂本龍馬(福山雅治)
健闘していて感心します。これからどのような性格設定になるのかな。


予告編に出てきた、ポール・ウェラーのような高杉晋作(伊勢谷友介)も楽しみ。
しかし、もうオリジナルストーリーをやっているヒマはないんじゃないだろうか。見ていて心配になってくる。
 
 

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2010/07/17

東京駅で心震える その2

  
赤レンガの名建築として親しまれてきた東京駅舎は、明治を代表する建築家・辰野金吾の設計。平成15年(2003)、国の重要文化財に指定され、戦災で修復されたデザインを創建当初の姿に戻すべく、現在大工事が行われている。
 
 
明治36年(1903)に中央停車場の設計を受注した辰野は、実に7年の歳月をかけて、いくつかの設計案を作成していった。採用された案は、バルツァー案の分散した建物をひとつにまとめ、横方向に長すぎるデザインを修正するため3階建てにしたものである。全体のバランスはよくなったが、本屋の長さは実に184間(331m)に達するものになった。中央停車場は6年9ヶ月の工期を経た大正3年(1914)に竣工。東京駅と命名され、12月18日、開業式が挙行されている。
 皇居の正面に建設されるわが国の中央駅であること、また日露戦争の終結直後であり、記念碑性の高い建築物を求められたことが、辰野自身がのちに「博覧会の陳列館見たやうな」と表現した、当時世界にも例のない長大な駅舎を誕生させることになった。
 東京駅の意匠はクイーン・アン様式とよばれるものである。これは19世紀終盤、ヴィクトリア朝の末期に流行したフリー・クラシック様式のひとつで、おもに住宅、都市部で軒を連ねる町屋に多くみられたデザインだった。辰野はこの大きすぎる建物をひとつの建築としてではなく、通りに連なる家並みに擬したのだろう。
 屋根上に大小の塔屋やドームを並べ、さらに壁面を御影石の水平線で飾るスタイルを辰野は好み、同デザインの建築物を数多く残した。重要文化財に指定されている日銀京都支店(京都文化博物館別館・1906)や日本生命九州支店(福岡市赤煉瓦文化館・1909)などは、今なお街のランドマークとして健在である。これらのデザインは「辰野式」と通称されるようになり、明治・大正期のレンガ建築に大きな影響を与えることになった。

 
これは2007年3月、雑誌『荷風!』(日本文芸社)11号に書いた文章を再掲したものです。丸の内・八重洲の大特集で、私は連載している「建物探訪」のほか、巻頭の東京駅の歴史ページを担当しました。鉄道ファンが買ってくれたのか、この号は早々に完売となってしまい、バックナンバーも残っていないんですよ。


さて、今回の工事の外観上のポイントは、


1 戦災で失われた最上階を復元する。

2 南北の乗り場の三角屋根を、八角形のドームに戻す。

3 建物正面の装飾を復活させる。


の3点が中心となっているようです。

 
駅のイメージが大きく変わるドーム屋根の復元は、ずいぶんとマスコミでも取り上げられています。しかし、今回工事の現場を見て衝撃をうけたのは、1なんですね。最上階の復活。
 
われわれが長い間親しんできた東京駅は、素敵な建物ではあったけれど、ずいぶんと横ににひょろ長い印象だった。本来3階建てだった建物が、戦争中の空襲で焼けてしまい、戦後の応急処置で3階部分を削って屋根を置いたのである。


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2007年撮影。写真はクリックすると拡大します。

よくよく見ると、三角屋根が大きすぎてバランスが悪いんですね。横に伸びる建物が、なんだか3つのドームをつなぐ渡り廊下みたいです。 
 
 
それでは、工事中の東京駅をもう一度見てみましょう。
 

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いかがでしょう。駅がデカくなったのがお分かりでしょうか。
おそらく以前より3~4mは背が高くなっています。

 
前出の文章で、私はクイーン・アンのデザインを「通りに連なる家並みに擬した」のだろうと書きました。これ、あたってました。ちょっとしたビル街みたいになりそうです。
 
戦災を受ける前の写真は数多く残っているし、ずいぶん見てきましたよ。でもね、3階建ての東京駅が(まだシートと足場だけなのに!)、これほどの規模のものとは思いませんでした。見上げるとすごい存在感。圧迫感すら感じます。
 
いやあ、完成が楽しみですよ。非常に楽しみ。三菱1号館が完成したときから、結構期待していたんです。あの建物については悪口も書きましたが、やっぱりいい出来なんだよね。あのレベルで復元できればいいのだけれど。

 

 
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中央改札左右の小出入口。
戦災復旧では失われていた部分で、独立した塔屋をもつ。
ここの復元が私は一番期待している。



 
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ドームの八角形の覆いに注目。



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こうなります。
(『ペーパークラフト・東京駅』集文社 表紙絵より)



まわりをすっかり超高層ビルに囲まれ、復元しても何だか淋しいものになりそうだと思っていましたが、どうやら杞憂かもしれません。辰野金吾お得意の、ギャラギャラとした飾りつけと、紅白饅頭のような色使いが完成当時の美しさで蘇ったら、おそらく21世紀のビル街にも負けない。復元建築でこんなに心が震えたのは初めてである。

 
しかしこれ、完成後に賛否が分かれるだろうな。あまりの変化に戸惑う人も多いと思いますよ。なじみの薄いデザインへの復元を反対する声もあったし。
(建築当初の姿だったのは約30年間、2階建て・三角屋根の時期はその倍の60年あまりだから、この意見もまあ分からないでもない)


何にせよ、復元予想図だけでは絶対にこの衝撃を感じることはできません。東京駅周辺にお越しの際は、ぜひ見上げてみて下さい。
 
 

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2010/07/14

東京駅で心震える その1

 
週末、子供と中央線に乗って、東京駅へ新幹線の見物に行った。

親子ともども乗り物が好きなので、ときおりふたりで近所の電車に乗って遊んでいる。息子は5月に3歳になったばかりで、東京駅までの乗車は彼にとって大遠征である。途中で飽きたらすぐに帰ってくるつもりだったが、満員の列車にも我慢して、ドアの手すりにつかまって立ち、一丁前に窓の外なんぞを眺めている。国分寺から新宿を過ぎるまで、文句を言わずに立っていたのには感心した。

 
「あ、タモリたん」 

御茶ノ水駅を過ぎたあたりで、息子が車窓を指差して言った。

何かと思ったら、ニコライ聖堂でありました。彼は『ブラタモリ』 のファンでして、神田特集か何かでタモリがニコライ堂の鐘をついていたのを覚えていたらしい。しかしよく見つけるよ。

 
そんなこんなで、東京駅に到着。
 
 
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最近の新幹線は、みんな悪夢のような形をしておりますな。

 
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わが息子、しばらく眺めているうちに案の定、「乗りたいー」 と言い出した。西武多摩湖線だったら何往復でもつき合ってやるのだが、子供の散歩で新幹線に乗るのはちょっと、いや、かなり痛い。当然ながら説得をこころみる。

「あのね、新幹線というのはすごーく早いの。びゅわーんびゅわーんと、飛んでるように走っちゃうの」

「うん」

「1回乗るとね、ものすごーく遠くの、全然知らない街にいっちゃって、もう帰ってこられないの」

「うん」

「かーたんは悲しくて泣いちゃうし、バーバやバアちゃん(両祖母ですな)やルカ姉さん(いとこです)にも会えなくなるし、もう大変なことなの。家庭崩壊に一家離散、みんな地平線に沈む夕日を仰ぎながら、泣きの涙に暮れちゃうんだよ。そうしたら困るよね」

「うん」


赤レンガ駅舎の改築状況をチェックするため、丸の内口へと向かう。今回の親の目的は実はこちら。

中央通路はタカラトミーのアンテナショップがあり、ミニカーとグッズが大量に飾られている。トラップのようなもので、そんなところを通るわけにはいかない。ルート選びもなかなか大変である。

改札口を出て、シートと足場に覆われた駅舎を見上げた。
 
 
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おおお。


いやあ、しびれた。久々に心震えましたね。

 
次回に続きます。
 
 

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2010/07/13

参院選終わる

 
毎年7月上旬は、原稿の締切りと期末テストが重なって往生する。そろそろ梅雨明けですかね。

日曜の夜に放送していた、参院選の特別番組『池上彰の選挙スペシャル』(テレビ東京) が話題になっているようだ。生徒役のゲストや女子アナへの池上先生の講義という、『週刊こどもニュース』(NHK)以来の定番構成なのだけれど、なかなか面白かった。他局は開票速報と選挙事務所中継をダラダラと流し続ける、旧態依然とした選挙特番ばかりでしたもんね。開票状況を極力テロップのみに絞っていたのも功を奏していた。まあ作戦勝ちですな。
 
池上氏の候補者や各党へのインタビューも笑った。報道記者出身だけあって、辛辣な質問も、往年の久米宏のようなバラエティ的な底意地の悪さ(あれも芸なのだけれど)を感じさせないのだ。
創価学会や日教組の組織票について分かりやすい解説も新鮮。この程度は本来タブーでも何でもない筈なのだが、いつからかテレビではあまり報道しなくなっているんですよね。

この人の『週刊こどもニュース』 はよく見ていた。いい番組だったけれど、息子や娘役を演じていた子役タレントにイライラしたものだ。こう言っては何だが、自分をよく見せることだけしか考えていないような、子役ずれした少年少女たちが多かったのだ。池上お父さんの話をろくに聞かず、「ふーん」「へーえ、そうなんだあ」 というセリフを機械的に繰り返すばかり。不勉強な上に、知的好奇心が明らかに欠けていたのである。
 
池上氏自身も、のちに自著やインタビューで子役の出来不出来について触れている。結構頭にきていたのか、何度も同じようなコメントしているのが面白かったりする。後半はそこそこ利口そうな子役になってましたけどね。

 
 
録画しておいた『僕の彼女はサイボーグ』(2008) を鑑賞。全然知らなかったのだが、韓国人の監督なんですね。
 
エピローグはいらんだろうとか、時間が長すぎるとか、文句はいくらでもつけられそうな作品だが、引きの画面と風景の描写で、ハリウッド映画風味の絵作りをしているところに感心した。『グエムル-漢江の怪物』(2006) を観たときにも感じたのだが、韓国映画は娯楽映画の「静」の部分にあたる、お約束の描写や絵作りが上手い。このへんが日本映画はどうしても駄目なんだよね。
 
 

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