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2010/05/31

吉祥寺の思い出 その2

 
昨日に続いて、吉祥寺の話をもう少し。今はなき店や、思い出深いものを紹介します。ご記憶のかたもいらっしゃるのでは。

 
DAC吉祥寺

伊勢丹の北側にあった第一家庭電器の店。オーディオ関係が充実していた。

あるとき、私の父はこの店で「間違って」、1ヶ1万円近くするレコードプレーヤーの針を買ってしまい、おまけにこれは低出力のMCカートリッジだったので昇圧アンプが必要で、「困ったので」、これも買ってしまい、どさくさにまぎれてなぜかプリメインアンプまで新調し、母にえらく怒られていた。子供心に、あれは絶対確信犯だと思った。
 
最後にこの店に入ったのは90年代の半ば、父がオーディオシステムを入れ換えたときである。さまざまなメーカーのアンプやチューナー、プレーヤーなどを組み合わせて買う客はもう少なくなっていたらしく、中年の店員氏が妙に張り切って、テスターやらグラフの束やらを持ってきて意気込んで説明していたのがおかしかった。
第一家電はつぶれ、これらの機器は父の形見となって、現在も実家で母親が愛用している。

 
王様のアイデア

ロンロンの中にあったユニーク商品の店。たしか東京駅や、新宿の駅ビルにも店舗がありました。
 
品物の多くは、ライトのつくボールペンだとか(これ、中1のときに買った。単三電池を軸に入れるので妙に太い)、コインを入れると人形がキスをする貯金箱とか、ものすごく小さくて、ものすごく使いづらそうなトラベル用麻雀牌だとか、ジッポライターに見えて、フタを開けるとマッチ棒が入ってるとか、その昔、少年雑誌の裏表紙に出ていた『ジョークショップ』や『マノク商事』 の広告にあるような、しょうもなくも楽しげな一品が多かった。末期はパーティーグッズのような商品が増え、店頭を眺めていても面白くなくなってしまいました。
 
ここで売っていた品で、今でも欲しいと思うものがある。長さ40cmくらいの直方体のガラスケースの中に、ブルーに着色されたオイルが入っていて、左右に傾けると液体が波のようにゆっくりと動くオブジェである。ケースを動かす電動の台座もあって、結構お高い商品だったのか、いつもショーウィンドウの上のほうに鎮座していた。
藤子不二雄の怪作『魔太郎がくる!』 に、この商品をテーマにした一編があったのを記憶している。おそらく藤子先生、買ってたんでしょうね。

 
ロンロンのプレイランド

駅ビル・ロンロンの西端に設けられたゲームコーナー。夕食を終え、駅に戻る前に家族で必ず立ち寄った。
 
インベーダーゲーム登場前のアーケードゲームは、ほとんどが20円か30円だったと思う。親から100円玉をもらい、画面上を左右に動く鮫を撃つゲームやら(当たるとピピピピ、と悲しげな音がして、鮫が血まみれでのたうちまわる画面に切り替わる。鮫というより錦鯉みたいな姿だった)、操縦桿を動かして三機編隊の影絵のような飛行機を打ち落とすゲームやらを楽しんだ。
妹は恵比寿様の顔がパネルに飾られた、スマートボールもどきをのんびりと楽しんでいたが、彼女はなかなか上手で、何度もリプレイを繰返していた。親も熱くなってゲームにチャレンジしており、私はその様子をいつも遠くからチェックしていた。そういうときは追加の小銭をねだりやすいのです。
正面と左右に、大砲やら戦車が描かれた切手大のパネルが並んでいて、大砲がコイルになったミニ戦車を操作して、ランプがついたパネルを大砲で押すとポイントとなるゲームが好きだったが、これが意外と難しかった。正面からぶつからないと、大砲がぐにゃ、と曲がって得点できず、車体を右往左往させているうちにタイムアップとなってしまうのだ。
 
当時のゲーム機は、たいてい制限時間が1分間で、アナログ時計のようなタイマーが操作盤についていた。リプレイも1分。だらだらと長くならないので、親としては、頃合いを見て引き上げるのには最適だったと思います。
大学に入って日本各地を旅行するようになったとき、地方都市のデパートの屋上で、これらのマシンとたびたび再会することになる。懐かしくてずいぶん遊んだものだ。

 
たまご屋

たばこ屋ではない。パルコに行く途中、家具の南海屋の手前に、裸電球を下げて木の台に藁を敷き詰め、大小の卵を並べて商っている店が、昭和の終わり頃まであったのだ。あれは凄かった。そこだけ終戦直後のような雰囲気だった。昨今のレトロ仕立ての居酒屋なんぞ裸足で逃げ出しそうな気迫と充実の店構えだったが、いつのまにか消えてしまった。
 
実はこの店、何を隠そう、わたくしの父親の次兄の奥さんの姉の結婚相手の実家なのでした(限りなく他人)。


さてさて、考えてみると、むかしの吉祥寺の客は「新宿渋谷に出るのも面倒だし、上野や銀座・日本橋なんざもう論外」 という手合いが多かったと思いますね。うちの親もそうでしたが、区部から越してきて郊外生活にすっかり馴染んじゃった人とかね。「吉祥寺に行こう」 ではなく、「まあ家にいるのも何だから、吉祥寺にでも行くかね」 という感じ。本当の繁華街とは違う、微妙な味わいがありました。

駅周辺の改造工事が進んでいるようですが、あんまり頑張って町づくりをすすめると、再開発した地方都市の駅前みたいになっちゃいそうなんだよね。便利だろうけど、それもあんまり面白いとは思えないなあ。
 
 

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コメント

学生の頃吉祥寺に住んでいました(80年代後半)現在のロータリーのところにホープ軒があって良く食べました。サンロードのはずれの方に風呂桶屋があったのを思い出します。たまご屋さん、ありましたね。

投稿: suu | 2013/09/15 10:06

吉祥寺から少し離れた、成蹊大学近くの一軒家で生まれ育ちました
大鵬市場?だったかな?安くて新鮮な野菜のある商店でよく母と買い物してました
まだあるのかな
ラザニア買って道でかぶりついたカーニバルとか
セガフレドザネッティはもうないけど、
家族の待ち合わせ場所でした

投稿: | 2014/08/02 01:09

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