« 夢見る約束 | トップページ | 吉祥寺の思い出 その2 »

2010/05/30

吉祥寺の思い出 その1

 
録画してあった『グーグーだって猫である』(2008) を鑑賞する。大島弓子の原作は未読。

全然知らなかったけど、吉祥寺が舞台だったのか。小泉今日子をはじめ、役者も悪くないんだけど、なんかこう、もう一ひねり欲しいなあ。 
 

吉祥寺は子供の頃から愛着のある街である。昨今はちょっとした観光地のようになっているようで(地図を片手に歩いている若い人がいるのには驚く) 週末などは大変な混雑だ。昔は近隣住民の買い物や食事の街だったんだけどね。コロッケだかギョーザだかを買う人が大行列を作っているのを見たときは仰天した。
 
ハモニカ横丁も、以前はもっと狭くて猥雑な感じだった印象がある。昔のアメ横だとか、御徒町のガード下をご存知の方はなんとなくお分かりかと思います。
冬の寒い晩などに路地を歩きまわり、ふと目の前に現れた歌川模型の小さなショーウィンドウをのぞいたりするのは、なかなか楽しいものでした。ここはオリジナルの鉄道模型を販売していた店で、ガラス戸ごしに、黙々と作業をする老主人の姿を何度も目にしたが、ついに一度も店内に足を踏み入れることはなかった。この店は私のなかでは、H.G.ウェルズの短編の『魔法のお店』 のようなイメージがある。

 
小学生のころ、月に一度は仕事帰りの父親と待ち合わせ、吉祥寺で食事をしていた。

母と妹と三人で、駅構内からロンロンの改札口を抜けると、仕事道具を入れた革鞄を下げた父が待っている。本屋やカメラ屋をのぞいたあとで、たいてい東急百貨店まで歩き、上階のレストランで夕食をとった。ここは夜も8時を過ぎると空いていて、父のお気に入りだった。デパートの食堂にしては酒の肴が旨かったらしい。

小学校3・4年の頃だったか、いつものようにこの店で食事をしていたら、遠くの席にいたグループ客の子供が店内を走り回り始めた。小学校高学年ぐらいの男の子と女の子で、通路の端から端まで、きゃあきゃあ言いながら競争をしている。同行者は彼らを叱ることなく、大人どうしで話に夢中になっている。どうやら親ではないようだ。

そのときの客は、わが家とそのグループだけだった。駆け回っている子供たちも、こちらのテーブルの近くにはこないので、声のかけようがない。あまりのやかましさに、父の機嫌がだんだんと悪くなっていく。私は自分が怒られているようでいたたまれず、早く彼らが席を立つことを願った。

結局、店員に頼んで注意をしてもらった。ウェイターが声をかけると、子供たちは素直に従い、席へ戻って食事を始めた。大人たちに何か話しかけられるたびに、「はい!」「はい!」と、不自然なほど元気よく返事をしている。

 
女の子は、当時吉祥寺に住んでいた杉田かおる。少し年上に見えた男の子も、名前は分からなかったが、やはり子役だったようだ。
今から考えれば、まあちょっと気の毒ではあった。人気者だったし、おもてで子供らしく遊んだりすることはできなかったのだろう。大人と話しているときと、遊んでいたときの笑顔がまったく異なっているのが印象的だった。

 
テレビで妙に達者な子役が登場すると、居心地の悪かったあの晩のことを思い出す。
 
 

 

|

« 夢見る約束 | トップページ | 吉祥寺の思い出 その2 »

「日記」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/81538/48492221

この記事へのトラックバック一覧です: 吉祥寺の思い出 その1:

« 夢見る約束 | トップページ | 吉祥寺の思い出 その2 »