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2010/02/19

屋敷森

 
 
昨日の朝はカメラを持って家を出た。

 
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家から30秒、駐車場の脇の風景。小平は田舎であるよ。
 

わが家から800mほど南に行ったところに玉川上水が流れている。小平は元禄年間に、この運河から分水路を設けて生まれた新田集落なのである。ずいぶん宅地化が進みましたが、まだ近所には稲荷神社の林があり、丸ポストがあり、よだれかけをかけたお地蔵様が並んでおります。

このあたりの農家は、玉川上水と青梅街道の間に短冊状の細長い畑をもってたんですね。住宅地となった今でも、当時の面影を道筋に残しています。
(集合住宅も、縦長の敷地に棟が並んでいるものが多い)

 
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やれやれ、今年は雪もこれで最後かな。
 
 
 
 

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2010/02/18

新しい電話機を購入

 
 
前から欲しかったんだけど、仕事机の大型化を機にオークションで購入。
 
 
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4号電話機。
 
朝鮮戦争勃発の昭和25(1950)年に登場し、昭和38(1963)年に600型電話機が現れるまで、日本の黒電話の王者だった機種。独特の流線型なのである。カールコードなので、末期の個体でしょう。

オークションで600型を「レトロ」 とかいって売ってる人がいますが、あれはまだ懐かしい気がしないなあ。妻の実家ではまだ使ってるしね。
 
 
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ダイヤルの真ん中の案内板。
これは出品者がカラーコピーで復刻したらしい。いい出来です。


モジュラージャックに改造してあり、アナログ回線のわが家は使用できるんですが、プッシュホン契約なので、いまのところ受話しかできません。ダイヤル廻したいし、どうしたものかな。
 
 
 
 

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2010/02/17

追悼・浅倉久志さん

 
 
http://www.yomiuri.co.jp/national/obit/news/20100216-OYT1T00788.htm
浅倉久志氏死去 翻訳家   (読売新聞)


フィリップ.K.ディックとカート・ヴォネガットを追いかけていた人は、足を向けて眠れないお方。79歳だったのか。このあいだ小隅黎(柴野拓美)さんも亡くなっちゃったし、SF黎明期を知る大御所が去っていきますね。

初めて早川書房のSFを手にしたのが小学校6年のころで、この人が翻訳したマイケル・クライトンの『アンドロメダ病原体』 だった。映画にもなったが、終盤にクライトンの大好きな (というか、この人の作品はそればっかりなような気が) システムの暴走という題材も登場、ハードSFながら小学生にも分かりやすい内容だった。
 
わたくしはハヤカワSFの「青背」に親しんだ世代です。20代前半の頃に、当時1000冊を越えたばかりのハヤカワSF文庫を、すべて購入・読破することを決意し、絶版本は毎年春になると大量に購入することにしていました。
 
なんで春かと申しますと、そのころ八王子にある中央大学の入試会場で案内のバイトをしていたんですが、大学前の野猿街道にプレハブの古書店があったんですね。ここがハヤカワの文庫本が異常に揃ってまして、バイトの休憩時間に訪れるのが楽しみだったのです。家族経営っぽい小さな店でしたが、これがのちのブックスいとうになりました。ブックオフと並び、関東では有名な新古書店のチェーンであります。
(HPで会社概要を見ると、本社の位置が中大の南の野猿街道ぞいで、まさに私が行っていた店の場所でした。私見ですが、このチェーンはブックオフよりも本に愛情があるような気がする)

結局、全巻制覇のもくろみは700冊ほどで挫折しますが(それでもものすごい場所をとった。サンリオの文庫も結構あったので)、引越し・結婚と生活が変化するなか、処分せずに最後まで残ったのがディックとヴォネガットだった。

ディックの『ユービック』 を初めて読んだときの衝撃は忘れられない。『高い城の男』 も『アンドロイドは…』 ももちろん好きだが、マイベストは『ユービック』 なのである(あの作品、珍しく話が破綻していない)。 ディック作品については、のちにサンリオの作品を復刻した東京創元社の文庫も揃えたけれど、浅倉節に馴れていたものだから、いまひとつ乗りきれませんでした。

 
ありがとう、浅倉久志さん。ご冥福をお祈りします。
 
 
 

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2010/02/16

バンクーバーオリンピック開幕

 
 
このあいだ北京の開会式を見たばかりのような気がするんですがね。冬のオリンピックをずらして、夏冬2年に1度にしてから、どうもあわただしくていけません。

オリンピックの開会式の出し物って、このところ先住民族へのお詫び大会みたいになってますな。さすがに北京では詫びていませんでしたが(かの国は詫びちゃったらおしまいだから)、絵に描いたような民族協和の寸劇をやっておりました。長野では何をやりましたっけ? 曙の土俵入りしか覚えてないや。

今回の開会式は、五輪旗をもつドナルド・サザーランドを見ることができたので満足である。サラ・マクラクランは当然出るとは思ったけれど、サザーランドがカナダ人だということをすっかり忘れていた。近年、好きな俳優が次々と死んでゆくので、こういう場でも元気なところを確認できると嬉しい。本当にでかい爺さんで、しばらく死にそうにないので安心した。
 
スノーボード代表の選手が叱られておりますが、ああいう格好も何年かしたら、なし崩し的に認められてしまうんじゃないですかね。だって、ロス五輪のとき、開会式の入場行進中にカメラをかまえた選手が大問題となって処罰されてるんですよ。今じゃ誰も咎めないのに。

競技前の選手をボロクソに叩くのもどうかと思いますが、あの国母という子も(どうやら所帯持ちらしいけど)覚悟が足りないよ。プロの選手として、五輪にそれほど重きを置いていないのなら、ケツをまくって帰ってきてしまえばいいのに。
 
 
スノーボードに限らず、歴史の浅い競技の日本人選手を見ていると、どうにも脆弱さを感じてしまう。アングロサクソン的な個性の重視、個の尊重って、日本人選手を成長させないんだよね。私は体育会的な上下のつながりは大嫌いだし、もっとも遠いところを生きてきた人間ですが、やっぱりあれが日本人にあっているのかもしれません。
 
「個性を伸ばす」「個性を重視する」と気軽に表現します。私も教育現場の一端にいるものとして、いろいろ工夫をしておりますが、これに本気で取り組むということは、日本社会全体のルールを変革すること、日本人の文化を変えることなんだよね。
 
GHQにもできなかったことが日本人の手によって実現できるのか、そして、どれくらいの人が本当にそれを望んでいるのか、興味があります。
 
 

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2010/02/15

ある既視体験 その2

 
 
夢に出てきた工場の話の続きです。べつにミステリアスな方向へは話が進みませんので、そのへんを御期待の方は、少々退屈かもしれません。

20代後半から本格的に全国の近代建築を撮影するようになり、各地の作品を調べているうちに、この建物の正体が判明した。京都市東山区馬道通り、五条大橋からちょっと入ったところにあるこの工場は、「関西テーラー」 といい、歴史的建築物の愛好家にはかなり知られた物件である。もとは村井兄弟商会の施設で、明治33年(1900) にタバコ工場として建設された。日本で最も初期の民間工場建築である。タバコが専売制になったあとは専売公社の施設になり、さらに第2次大戦後に払下げられたらしい。
 
創業者・村井吉兵衛は、明治期の京都を代表する実業家のひとり。「天狗煙草」で有名な東京銀座の岩谷松平とともに、タバコの製造・販売で巨万の富を築いた人物で、昭和恐慌で破綻するまで、銀行経営・石炭・石油・生糸と、さまざまな分野に事業を広げていた。ちなみに村井と岩谷が製造販売していたタバコは、それぞれ意匠をこらしたデザインのパッケージを生み出し、カラー印刷のカードをオマケにつけたりして人気を博した。両社の印刷部門がのちに東洋印刷、凸版印刷のルーツになったという。
 
さて、前回ご紹介した写真は、3年ほど前、関西を取材したときに撮影したものです。初めて遭遇したときの印象に近づけようと思い、フォトショップで加工してみたんだけど、全然センスがないものだから、妙な仕上がりになっちゃった。

実際はこんな感じです。
 

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周辺はごくごく普通の住宅地である。大きなビルも少なく、突然現れる赤レンガの大建築はかなりシュール。この写真では、近隣の家々が改築されてそこそこ新しくなっているけれど、昔は看板建築の商店と京町家ばかりだったので、ハイカラな工場との対比が鮮やかというか何というか、何とも不可思議な街並みであった。 
 
 
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ちなみに行き止まりの正面ではなく、道は右にカーブしています。
工場の前の道は、馬車をつなぐために広くしたのだという。

 
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馬をつないだ鉄輪。
 
 
古都というイメージばかりが先行しがちですが、京都は琵琶湖疏水や路面電車の建設、上下水道の整備など、明治以降は西欧文明をあいついで導入し、近代化をいち早く進めた都市でもあるんですね。市内には明治大正期の洋風建築が結構残ってまして、見学できるものとしては、村井吉兵衛関連では円山公園の長楽館(ものすごい豪華)、七条通りの村井銀行七条支店が有名です。延暦寺の比叡山会館にある大書院は、村井が東京赤坂に建てた豪邸(山王御殿) の一部を移築したものです。

京都は歴史的建築を上手に活用している施設が多く、この工場も一部を東山IVYと称して、宿泊施設に活用していた(蔦はからまっていなかったが)。いつか泊まってみたいと思っていたら、2009年の夏、あっという間に全棟が取り壊されてしまった。
 
うーん。実に残念。立派な記念碑もあったし、この建物は保存されると思ったんだけどなあ。

 
今度夢の中に出てきたら、怖さよりも懐かしさを感じてしまうかもしれません。
 
 
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2010/02/13

ある既視体験 



子供の頃、高熱を出すと必ず同じ夢を見た。


同じような経験をお持ちの人も多いだろう。目覚めてから思い出しても、どうして怖いのかうまく説明できず、もどかしい思いをする。 

私の場合、夢にいつも登場するのは、夕暮れ時のごみごみとした街並みだった。別に怪物が現れたりするわけではない。住宅地や小さな商店が並ぶ通りの突き当たりに、レンガ造の古い工場が壁のように立ちふさがっている。それだけのことだが、その風景がどうにも陰鬱で怖いのだ。体調が悪く熱があるときは、またあの夢でうなされるだろうと予想がついたので、寝入るのが苦痛だった。

最後にこの夢を見たのは、高2の春である。突然夢のなかに風景が現れ、驚愕して目覚めた。このときは別に発熱はしておらず、何というか、まったくの不意打ちだった。

恐らく大声をあげたのだと思う。気がついたときには、私の顔を不安そうにのぞきこむ母親の横で、ピアノの長椅子に座って震えていた。寝室から連れてこられたのだろうが、まったく記憶がない。
このときの震えは、身震いなどという生やさしいものではなく、体が跳ね上がりそうなほどで、頭が、腕が、両足が、全身が絶え間なくガタガタと振動していた。目は開いているが、周囲のものにまったく焦点が合わないのだ。頭上の白熱電球がふだんの半分ほどの明るさに感じられ、キイキイと嫌な音がどこかから聞こえてくる。ネジのゆるんだ長椅子がきしむ音だった。
 
しばらくすると、震えは次第に収まってきた。もう大丈夫だから、と母親に告げ、私は一人で部屋に残った。

この夢は一体何なのだろう? 物心つくまえに、どこかで目にした場所なのだろうか? ようやく覚醒してきた頭で、私はぼんやりと考え、机の上にあった紙切れに急いで印象を書きとめた。4Bの鉛筆で殴り書きしたこのときの紙片は、その後長い間机の引き出しに入っていたのでよく覚えている。こんな内容だ。




いえ 家 家(古い)    工場いきどまり 窓がない  
あかれんが あかい     赤い
 
モーターうなる音      くさり?  おばあさん
 

電線   家家      くらい  こわい 

こわい

 
 

7・8年後、大学時代のこと。
山陰地方を旅行していた私は、帰路に同行の友人と別れて、一人で京都に立ち寄った。
 
まだ空也像が大雑把に廊下に置かれていた頃の六波羅蜜寺と、六道珍皇寺を見物したあとで、河原町の駅へ戻る道が分からなくなり、迷路のような路地に迷いこんでしまった。どれくらい歩いただろう。日没が迫り、曇り空が次第に薄暗くなってきた。灯りが点りはじめた街灯の下を、うつむき加減に歩いていた私は、ふと顔をあげて目の前の風景に足をとめた。

 
 
 
 
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あ。

ここだ。

 


私はその場にしゃがみこんだ。いわゆるデジャヴというものが、視覚と脳内の記憶が混乱したものだということを何かの本で読んでいたので、べつに恐ろしかったり、ことさら神秘的な何かを感じたわけではなかった。ただ、あまりにも例の夢の風景そのものだったので、かなり動揺したのだった。そして地名や建物を確認することなく、足早にその場を立ち去った。

以後長い間、この場所はあの夢と同じように、私にとって幻の街となっていた。この街角を再訪したのは、20年近くたってからである。
 
 
次回に続きます。
 
 

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2010/02/09

誰も彼も、叩かれまいと

 
 
朝青龍引退。

この人の暴走はどう考えても親方の責任だと思うのだが、朝潮が利口だったらおそらく横綱にはなっていなかっただろし、なかなか難しいところである。
 
元横綱に同情するわけではないけれど、ネット社会の広がりとともに、出る杭を叩く風潮が明らかに激しくなっていることに危惧を感じる。

 
タレントや歌手など、メディアに出る人がみんな馬鹿丁寧な言葉遣いになってますよね。昨今は。ちょっとでも問題のある発言をすると、ブログは炎上するし、2ちゃんねるでは祭りになるし、みな戦々恐々としているように思えます。

一昨年だったか、NHKの紅白歌合戦を観ていたら、初登場の若手ミュージシャンたちが歌う前にインタビューを受けて答えていた。

 
「湘南の方で活動させていただいています」

「一生懸命歌わさせていただきます」
 

何だろうなあ、と思う。べつに馬鹿にしているのではありません。彼らが一所懸命に使う丁寧語が、他者への心遣いではなく、防衛反応であることが明らかで気の毒なのだ。
「スピッツさんの曲を歌わさせていただいて…」 と緊張しながら答える女性の歌い手に、インタビュアーとともに横に立って微笑んでいた布施明が快活に話しかけたのが印象的だった。

 
「ひとの歌を歌うのって、いいよね!」
 

ちょっと前まで当たり前だった、実に普通の言葉、あたりまえの表現。
いいなあ、布施明。
 
 

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2010/02/08

飛行機を見に行った

 
 
週末に羽田空港近くの公園へ、家族でドライブへ行きました。先日観た『ハッピーフライト』 の影響であります。このところ飛行機乗ってないので。
 
年末に買ったナビ子さんの案内に従い、何も考えず右へ左へとハンドルを切っていたら、1時間ほどで到着してしまいました。いやあ、楽ちんだ。カーナビ。十数年ぶりに首都高に乗りました。

 
(写真をクリックすると、ちょっとだけ拡大します)
 
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都立城南島海浜公園。
キャンプ場もありました。結構楽しいかも。
 
 
 
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公共施設だけに、やたら禁止事項が多い。
確かに、大凧や連凧なんかを上げたら非常にまずいでしょうね。
 
 
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強風の中。1分おきぐらいで次々と旅客機が離陸していく。向かい風のせいか、滑走距離が短いように見える。

 
横田基地の周辺でも感じることだが、近年の飛行機は昔の輸送機や旅客機と比べるとエンジン音が実に静かになった。
 
 
Dscn1237
 
いい青空。しかし、ジャンボは減ったねえ。ボーイング747が短距離路線で頻繁に行き来しているのは、日本独特の風景だったんですが。
 
 
そうそう、興味深いものを目撃いたしました。
 
 
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DD-107 護衛艦いかづち
 
Dscn1242
AOE-425 補給艦ましゅう


テロ特措法で派遣されていたインド洋から帰ってきた自衛隊の艦船です。
この日、晴海埠頭で乗員を降ろした帰りらしい。

 
子供は大喜びでボードウォークを走り回っていたが、親は強風と寒さで風邪をひいた。
原稿の締切りが近いのに、参ったな。
 
 

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2010/02/02

入れ札

 
http://mainichi.jp/select/opinion/closeup/news/20100202ddm003050088000c.html
貴乃花親方、日本相撲協会理事当選 伝統の壁に風穴  (毎日jp)

 
大島親方落選。小兵の大関・旭国は大好きだったんですが。

今回の騒動で、菊池寛の短編『入れ札』 を思い出しました。代官を斬った国定忠治一家が逃げるとき、大勢の子分たちの中から、忠治と行動を共にする数人を投票で決めるという話です。菊池寛は、ある文学賞の選考過程をヒントにこのアイデアを思いついたそうですが、人間の欲と狡さを描いたまことに面白い小説です。本棚のどこかにあったので、再読してみよう(注)
 
 
注… 『恩讐の彼方に』 を表題とする短編集に収録されています。ちなみに、収められている作品は『忠直卿行状記』『藤十郎の恋』『極楽』 など、すべて傑作。菊池寛恐るべし。
 
 

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2010/02/01

エンタテインメントの佳作でした

 
矢口史靖監督の『ハッピーフライト』 (2008) をテレビで放映していたので鑑賞。

以前から観たかったのだが、この監督の『ウォーターボーイズ』『スウィングガールズ』 に大きな疑問を感じていたので、ちょっと躊躇していたのである。面白いネタをどうしてこういうふうに料理するのかな、と。
 
意外や、本作はしっかり作りこんだいい群像劇だった。決して大作ではないものの、コメディタッチの日本映画では珍しく、エンディングまでダレることなく楽しめた。

 
(以下、少々ネタバレあります。ご注意。)
 

以前の矢口監督であれば、笹野高史のカツラネタや正露丸ネタをもっと引っ張るか、グロテスクに誇張して笑わせようとしたと思うんですよ。絶対。この人の作品は、笑いが万事小粒なことと、話の本筋から外れていることが、物語のカタルシスを大きく損なっていたのである。今回は俳優たちの真っ当な演技で笑わせていて、ストーリー上でほとんど浮いている部分がない。全日空の全面協力ということで、予定調和の内容にしかできないことが、かえって成功した要因なのかもしれない。

空港見学の子供たちを案内するシークエンスで、分かりづらい地上クルーの仕事ぶりを観客に説明するくだりに感心した。ストーリーを停滞させず、うまく後半への伏線を張ることに成功している。日本映画はこういうところを手抜きするか、字幕で処理することが多いのだ。

女優陣はみな健闘しており、なかでもグランドスタッフを演じる田畑智子が抜群にいい。彼女の恋の行方をくどくど描かないのにも好感がもてた。何でもすべて描写すればいいわけではないのである。ただ、本当は整備クルーの上司と若手の人間関係を、最後に上手くまとめるのがエンタテインメントとしては王道なんだけどね。

しかし、ANAはハッピーフライトで、JALは『沈まぬ太陽』と『クライマーズハイ』 では、さすがにJAL関係者がちょっと気の毒な気もします。
 
 

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