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2009/04/06

複製品を前にして考えたこと その2

 
大学の史学科を出て、20年近く中学・高校で歴史を教えてきた。

建物好きの自分がつくづく歴史屋だと実感したのは、10年ほど前だったか、いわゆる「廃墟」 がブームとなったときだ。国内の打ち捨てられた工場や人家の写真集が書店に並ぶようになり、一部で人気を集めたのである。
実質的には廃墟写真のブームだったのだが、私はあまり心を動かされなかった。それらの本のほとんどは、遺物の歴史的背景や、そこで働き、暮らした人間に存在に対して無頓着だったからだ。お化け屋敷をのぞきこむ感覚で紹介している本も目立ち、これでいいのかなと考えざるを得なかった。
 
長崎県に端島という人工島がある。軍艦島と通称されるこの炭鉱の島は、廃墟ファンには人気のスポットのようだ。
(世界遺産にという声もあるが、重要な建築物の多くはすでに失われている)
 
私は端島の荒廃したコンクリートの建築物を、階調や色彩をいじり倒してドラマティックに仕立てた写真で見るより、居住区をつなぐ回廊で遊ぶ子供たちの古い写真を見つけだして眺めるほうが好きだ。そして、そこにつくられた最大の建物が、1945年8月15日、終戦の日をはさんで突貫工事で建設されたというエピソードに心震える。国策である石炭生産施設の建設は、敗戦とは無関係に進められたのだ。遺物に残る長い歴史は、廃墟写真だけでは決して感じ取ることはできない。

歴史への敬意は、絶対に必要だと思うのである。

丸の内の主である三菱地所が、1号館を復元するというニュースを最初に耳にしたとき、脱力感に近いものを感じた。日本の近代建築や建築史に興味のある人ならご存知だと思うが、オリジナルはJ・コンドル設計の傑作で、残っていれば明らかに重要文化財になっていた歴史的建築だったのである。1960年代の後半、三菱地所は保存を求める声に耳をまったく耳を貸さず、反対運動が盛り上がるのを恐れてこの建物をあっという間に解体した。
いかにも高度経済成長期らしい話であり、当時としてはとくに珍しい出来事ではなかった。ただ、今回復元するにあたり、この建物を美術館として、丸の内の文化の発信地として活用するというアナウンスに、どうにも抵抗を感じるのである。
さらにいうと、復元された三菱1号館が建つのは元の場所ではない。この複製品をつくるために、大名小路に唯一残っていた戦前建築、八重洲ビルを取り壊しているのだ。八重洲ビルヂングは小ぶりな尖塔をもつ、素敵なオフィスビルだった。中央郵便局の取り壊しを待たず、戦前の丸の内名物・一丁ニューヨークの面影を残す建築はすべて消えてしまった。

完成間近の新三菱1号館は、建物の一部に保管してあったオリジナルの部材を使っているという。実際よくできていて、三菱が「本気」 で取り組んでいることが一目で分かった。どうせテーマパークの建物のように嘘くさい仕上がりになるのだろうと思っていたので、これには本当に感心した。
 
感心はするけれど、どうしても感動することができないのだ。

Dsc_2317
 
Dsc_2322
 
 
この建物も、結局は丸の内のレトロな新名所として認知されるのだろうね。見上げる日本人の歴史観を問う、踏み絵のような不思議な建築です。ぜひ一度ご覧になることをお勧めします。
 
 
 
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一部が「保存」された八重洲ビルヂング。
 
 

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