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2009/02/28

携帯電話をおとす

 
先日、日本武道館の取材で北の丸公園へ行ったときのこと。

職員の方にいろいろ話をうかがったあとで、外観の写真を撮ろうと周辺を歩いてみる。ところがいいポジションがなかなか見つからないのだ。あの大屋根の曲線をできるだけ入れたいのだけれど、近くで見上げると屋根がまったく写らない。ある程度高い位置から撮影しなければ駄目なようである。九段会館や隣接する昭和館の上階からお濠ごしに、という手もあるが、今回は敷地内の撮影でいきたい。

ふと西側の駐車場をみると、奥に結構な高さの石垣が壁のようにそびえている。たしかその向こう側は千鳥が淵だった筈だ。よし、あそこに登ってやれ。
 
石垣のいちばん端は高さが1mほどで、坂道のように次第に高さが増している。バッグを駐車場の隅に置き、カメラを片手によいしょっと上に登った。
石垣上には金網が張ってあるので、歩ける場所は崖っぷち、幅50センチほどの場所である。枯れ草をふみしめてずんずんと歩き、行く手をはばむ植木をよけて、ところどころでぐらつく足元の石を避け、くもの巣に注意しながら忍者のように進んでゆくと、ついに最上部に到着した。

どうやらここは千鳥が淵を見下ろす遊歩道の先端らしい。金網を越えて遊歩道側にも入ってみたが、木々が生い茂りすぎていて撮影は難しそうだ。しかしこの場所、狭いし暗いし行き止まりだし、ふだん人が来るのだろうか。
ふたたび武道館側へと戻る。石垣の下の駐車場まで7・8m近くありそうだ。カメラを横に置き、胸を金網の上にのせてベリーロールの要領で慎重に網を越えた。足元は落ち葉は湿っていて滑るので、かなり神経を使う。
撮影後、石垣の縁をゆっくりと進んで(下りはかなり怖い)、駐車場に戻ったが、手指をすりむき服と靴がえらく汚れてしまった。体のあちこちが痛む。やれやれ、もうこういう無理をする年齢ではないようだ。

 
取材に同行した編集長と九段下ビルの喫茶店でお茶。
ご存知の方も多いと思うが、ここは関東大震災直後の復興建築で、残っているのが奇蹟のような戦前の商業ビルである。ここ数年でテナントのほとんどは退去し、いよいよ最期の時を迎えつつある。 

Dsc_1065


神保町の編集部に戻って打ち合わせを終え、さあ帰ろうと立ち上がったとき、上着のポケットに入れていた携帯電話がないことに気がついた。すべてのポケットとバッグも調べるが、どこにもない。
 
携帯を落としたのは初めてである。

あわてて先ほどの喫茶店に問い合わせるが、見当たらないという。気持ちを落ち着かせて自分の行程を振り返ってみる。喫茶店では使っていない。武道館でもポケットから出した覚えはない。そうだ、最後に使ったのは九段下の駅だ。編集長に到着を知らせたんだっけ。
道で落とせば気づくだろうし、どこか音のしないところで…。

あそこだ。

そう気がつくとともに、そこへおもむく手間を考えると、ヘナヘナと座りこみそうになった。だが考え込んでいても仕方がない。夕暮れせまる神保町の街へ、私は飛び出した。
 
靖国通りを西へすすみ、専大前の交差点を越える。九段下ビルを右手に、西神田の俎橋で首都高をくぐり、九段会館と昭和館の横を通って九段南へ。坂上の燈台が夕日に照らされて美しい。
(靖国神社横に明治初期につくられた灯台がある。当時はここから海が見えたのだ)

田安門をくぐり、枡形を抜け北の丸へ。武道館を一瞥するが、私の目的地は別だ。そう、駐車場である。

ああ面倒くさい。嫌だ嫌だ。だが、早くしないと真っ暗になってしまう。バッグを駐車場の隅に置き、よいしょっと上に登る。石垣上には金網が張ってあるので、歩ける場所は崖っぷち、幅50センチほどである。枯れ草をふみしめてずんずんと歩き、行く手をはばむ植木をよけて、ところどころでぐらつく足元の石を避け、くもの巣に注意しながら忍者のように進んでゆくと、ついに最上部に到着した。木々にさえぎられ、もはや夕日はほとんど差し込んでこない。
そしてベリーロールの要領で慎重に網を越えた場所、足元の湿った落ち葉の上に―、

ありました。
 
予想通りだった。金網の上で体を寝かせたときに、胸ポケットから落ちたのでした。
 
私はほっとして周囲を見回した。あわてて戻っては来たものの、落ち着いて考えたら、この場所は明日でも3日後でも1ヶ月後でも、誰にも盗られることはなかっただろうな。
 
 

 

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2009/02/26

生協配達は2度3度ベルを鳴らす


夕方、実家にいる妻からメールがくる。今日はコープだからよろしくとのこと。
 
ここ4・5日、ひとり暮らしなのだ。チビがいるとやはり仕事にならないことが多く、定期テストの期間や原稿締め切りの前などは、息子を連れてバアタンのところに遊びにいってもらっている。なんたって原稿書いてるといきなりパソコンの電源切るからなあ。

今日は宅配の日でした。7時ごろ来るんだっけ。

学年末テストを4本作成し、学校を回って回収してきたところである。くたびれたので今日は採点せずに一杯呑んで寝ようと思っていたのだ。というか、もうすでに呑んでいる。妻にメールを返信。

コープをわかりましただいじょぶいまのみながら日本ちんぼつみてるのじゃあ股ね

いつまでたっても携帯メールは苦手である。

日本沈没(1973年東宝) のDVDを観ながらウィスキーを呑み、宅配を待つ。ちょうど東京に大地震が発生しているシーンである。隅田川と荒川の堤防が爆発するように吹っ飛び、下町が激流に飲み込まれる様子を見ながら、ダムの決壊じゃないんだからこんなに大洪水にはならんだろうよ、などとぼんやり考えていたら、いきなり意識が遠くなった。

気がついたら9時を回っている。あわてて玄関を開けると、コンテナが4つ5つ積み上げられていた。ありゃ大変。冷凍食品もあるんだよな。まあ冬だし、大丈夫か。
 
「何度もチャイムを鳴らしたのですが、いらっしゃらないようなので置いていきます」 という、怒りとウラミを感じ取れるメモがコンテナのひとつに入っていた。いやイライラしたろうなあ。TVはつけっぱなしだったから、室内からでかい音で地震や大爆発の音、藤岡弘や小林桂樹の怒鳴り声などが聞こえていた筈である。たいへん申し訳ないことをした。

コンテナボックスに入っているドライアイスにお湯をかけて遊んでから、連載の資料の「荷風随筆集」(岩波文庫) を精読。ことしは永井荷風・没後50年である。
 
 
 

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2009/02/24

おくりびと オスカー受賞

 
イスラエル映画を抑えての受賞は、まあ時代の要請なのでしょう。
発表直後、監督も本木氏も当惑しているのが面白かった。

しかし、日本アカデミー賞こそ木村多江にさらわれてしまったものの、
広末涼子という人は運が強いね。
 

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2009/02/21

どうしてベルトをはずすのか

 
ノースウエスト機乱気流事故
http://mainichi.jp/select/jiken/news/20090221ddm041040100000c.html
 

水平飛行に入ってポーンとチャイムがなると、機内のあちこちでカチャカチャ音がするでしょ。なんでベルトを外すのかなあ、といつも思うんだよね。あのダランダランのヒモがそんなに気になるのだろうか。乱気流でフリーフォール状態になったときの、唯一の命綱なのに。

私は一度ベルトを締めたら、降機するまで外すことはない(トイレは別です)。ゆるめに締めて、おなかの上にバックルを乗せておけばいいのだ。自動車のシートベルトと違って巻き取られないわけだし、かなりルーズに締めていたってかまわないのである。エマージェンシーの際には(考えたくもないが) 締め直せばいいのだから。

今回怪我をされた方の多くは、というか全ては、ベルトを締めていなかった人なのだろう。お気の毒ではあるが、ちょっと頭をひねらざるを得ない。

ただ、航空会社側も適切な案内をおこなっていたのかという疑問もあります。

離陸前の、あるいは飛行中のフライト・アテンダントの放送って、どこの航空会社も早口で苛ただしげで、ルーティンワークそのものといった感じですよね。乗客に聞いてもらおうという意識に欠けているように思える。乗客サービスの大変さはわかるし、実際そのご苦労には頭が下がるけれども、ああいう機内放送は一考の余地があるのではないだろうか。
必要な案内は分かりやすく聞き取れる大きさで(ときには大きすぎるくらいで)放送する必要があると思います。
 
まずは、「席を離れるとき以外は、絶対にベルトを外さないで下さい」 でしょうね。


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2009/02/19

久米邦武先生の名著

 
出版社で打ち合わせの帰り、神保町の古書店に寄ったら、箱入りの『米欧回覧実記』(岩波文庫)を発見、急いで購入する。歴史の教科書に必ず出てくる、明治初頭の岩倉使節団の洋行記である。
 
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「モノを記録するってのはこういうことだよ」 とわれわれに教えてくれる大著です。 
 
 
さて、5巻本の箱入りで、いい大きさなんですよ、これが。
まあ予想はしていましたが、すぐに強奪されました。
 
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でへへ。お久しぶり。
 


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2009/02/17

高い壁と卵の関係

 
「芦屋雁之助じゃないライ麦畑が読みたい」 と妻がこぼすので、勤務校の図書館で『キャッチャー・イン・ザ・ライ』(白水社)を借りてくる。以前話題になった、村上春樹の翻訳本である。旧訳の主人公のセリフ回し、言われてみれば確かに裸の大将みたいでした。私はあんまり気にならなかったけど。
 
20数年ぶりに再読したが、どうにもピンとこない。やっぱりこれは10代の文学なんだなあ。
私のなかでは、D・キイスの『アルジャーノンに花束を』 なども同じ範疇に入ります。SF好きなら、ハインラインの『夏への扉』 とかね。ちなみに『アルジャーノン』 は、大学生協の本屋に並んでいるというイメージが強いです。
(あの小説は何というか、本好きにとっての通過儀礼みたいなものでした。毎年一定の部数が出るものだから、白水社はずいぶん長い間文庫にしなかった)

新訳の主人公は、すっかり村上春樹の小説の「僕」 になっていたのが面白かった。そのうち「直子」 とか出てきそうな感じなんだよね。あれは売れたのかな。

 
エルサレム賞、いいスピーチでした。あの人の他者や社会事象への変わらぬ立ち位置には感心する。


 
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さてさて、宣伝でございます。

東京都交通局のフリーペーパーで、新連載をはじめました。「東京建物探訪」 を連載中の雑誌『荷風!』(日本文芸社) の姉妹誌にあたる、『東京時間旅行 ミニ荷風!』 です。2016年オリンピックの招致中ということで、『過去と未来の東京五輪』 と題して、東京オリンピックの諸施設を探訪しています。第1回は国立霞ヶ丘競技場を取り上げました。

発行部数は10万部。編集長以下、本誌のスタッフとライターがこぞって参加しておりまして、フリーペーパーとは思えぬこだわりで、異常に内容の濃い小冊子に仕上がっております。歴史ファン、東京街歩き愛好家は必見です。
 
都営地下鉄の駅構内、都バス・都電の車内においてありますので、ぜひご覧いただければと思います。年配の方に人気があるので、なくなるのが早いんですよ。お早めに!
 

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2009/02/16

いてててて


祝日に取材で静岡に行ってきました。

早朝からの撮影のため、久しぶりに高速バスを予約した。23時50分発なので、夕食を終えて子供と風呂に入ってから東京駅へ。静岡着は午前5時前である。距離のわりには意外と時間がかかるなあと思ったら、途中で2時間ほど休憩タイムがあるんだね。
 
夜行バスで寝ると必ずノドを痛めて体調を崩すので、今回はのど飴やお茶のほかに、濡れマスクなるものを購入しました。マスクのガーゼにポケットが2つついていて、そこに濡れたフェルトを入れるしくみである。単純だが、これは実に効果がありました。ノドの弱い方はぜひお試しください。

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2階建てバスは、1階席がおすすめ。
天井は低いですが、荷物を置くスペースに余裕があります。

 
午前中に必要な撮影を終えたので、金谷まで足を伸ばして大井川を見に行った。かつて東海道最大の難所だった場所である。上流の発電所などで水を使いすぎ、以前来たときは悲しくなるほど水量が少なかったけれど、今回はわりと流れがありました。土手から見下ろしたところ、水深が1mほどありそう。

すっかり嬉しくなって、「箱根八里は馬でも越すが、越すに越されぬうー」 などと小唄を口ずさみながら土手の石組みを下っていたら、まんまと足を踏み外した。バランスを崩して、どどどどど、と勢いよく斜面をかけ降りる。

この季節に川面にダイビングは嫌だ。あわてて右手をみると、1mちょっと先の水面に、日本河川の名物・コンクリート護岸ブロックが顔を出しているではありませんか。仕方ないから、えいや、とジャンプする。
 
上半身はかろうじてブロックに届いた。両手をついて体を支えようとしたが、ああ何ということか、左手には先日買ったばかりの機材、ニコンD300(レンズ込み廿萬円超・カード引落しは来月4日) があったのだ。あわてて手首を返し、水流で削られて鋼のヤスリのようになったコンクリートに左手小指の付け根をずずず、とすりながら着地する。

い、痛えよ。

 
経験のある方はお分かりでしょう。この手のスリ傷の痛みは格別である。

私はブロックの上にひざまずき、おう、おうと呟きながら、傷ついた左手を青空へと伸ばした。目には涙がにじみ、まるで主に問いかける山上のイエスのような格好だ。もちろん誰も感動してくれる者などおらず、河原でススキを刈っていた爺さんが訝しげにこちらを見ているだけである。

右手のほうはどうやら打撲したようで、鈍痛がゆっくりと二の腕までひろがってきた。左腕を真っ赤に流れる僕の血潮。ぐぐぐ、痛い。手のひらを太陽に透かしてみるまでもない。
 
いつまでもうーうー言ってても仕方がないから、痛みをこらえて大井川のスナップを1枚、2枚。
 
 
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どうやらカメラは無事の模様である。
しかし全然楽しくないぞ。もう。

 
さて、帰宅後もまだ苦痛は続いております。そして面白いことに気がつきました。
 
手の甲、左手小指の付け根を傷つけたんですが、この部分って、日常生活で絶えずいろんなモノに触れたり、ぶつけたりしてるんですね。ふだんは気づかないだけで。
私は利き手が左なので、何をするのも必ず左手が先に出ます。マグカップや茶碗をテーブルに置くとき、上着を脱ぎ着するとき、ポケットからの手の出し入れのとき、引出しから物を出すとき、クルマのハンドルを握っているとき(膝頭に触れるのだ)など、しょっちゅう何かに触ってしまうんですよ。掃除機をかけるときや片付けのときにはあちこちにぶつけるし、そのたびにもうピリピリと痛むこと痛むこと。

皆様、つまらないケガには注意いたしましょう。
 

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2009/02/10

ストリームラインという悪夢 その2

 
ずいぶん間があいてしまいましたが、流線型のお話の続きです。

昭和40年代、『自動車の美学 流体力学によるデザインの採点』(光文社) という本が出版されていた。戦前戦後の自動車のデザインの変化を一般向けにわかりやすく解説した好著で、かつて一世を風靡したカッパブックスの1冊である。著者の樋口健治氏は機械工学の専門家。高齢ながら、現在も東京農工大の名誉教授として活躍されているらしい。
そういえば、ノベル以外のカッパの本って、あまり本屋で見なくなっちゃいましたね。多湖輝の『頭の体操』 シリーズあたりが世代的には懐かしいですが。
 
これは私の自動車趣味の原点となった本でありまして、小学生の頃に叔父の家から拝借して30年間借りっぱなしのまま、いつのまにか形見になってしまいました。

 
樋口先生によると、今世紀の車のデザインは、

マッチ箱型(T型フォードのような四角い車。馬車の形から脱していない)
カブト虫型(高速化をめざして背が低くなり流線型へ)
ボート型(いわゆる3ボックスタイプの登場。ステップ式のフェンダーがなくなる)
サカナ型(ボート型の流線型化。ファストバックスタイルの登場)
クサビ型(空気抵抗をさらに低くする試み)

の順に発展しているのだという。

いやもう、目からウロコが落ちましたね。工業デザインというものが、必然性があって変化していくということを初めて知った。「虚飾は滅びる」 という実例として、1950年代の過剰デコレーションのアメ車にもしっかり言及があり、口絵写真では見たことも聞いたこともないような古い車が紹介されていて、どれもこれも実に魅力的だった。
ちなみに、私がこの本に熱狂していたころ、世は空前のスーパーカーブームでありました。ランボルギーニ・カウンタックだ、フェラーリBBだ、と盛り上がる友人たちに、「1938年型のタルボ・ラーゴはすごいよ」 とか、「ダッジ・キングスウェイのテールフィンはバランスが悪くてさ」 などといっても、まったく理解されずに悲しい思いをしました。

さて、もっとも面白かったのが、1920年代から30年代のクルマの解説だった。エンジンの性能がアップしてスピードが上がると、空気抵抗の克服が課題になりはじめる。風洞実験から、先端部を丸く、後部をとがらせた形状がもっとも高速化に適しているという結論に達するのだ。この時期に研究をすすめた技術者の多くは航空機の設計者だった。
(前を丸く、後ろを伸ばしたデザインは、考えてみれば飛行船のスタイルそのものである)

無骨なマッチ箱型だった初期の自動車からカドがとれ、グリルは丸みを増し、後部のトランクも流れるような流麗なデザインとなっていく。流線型自動車の登場である。大空を飛翔する鳥には、水中を進むサカナには、余分なパーツというものがない。自然に学び、必要ない部分を削り取れば、もっとも機能的な形状に達するであろうという理屈だ。

ところが、この発想が妙な方向にひろがってゆくんですな。先進的なイメージだけがもてはやされ、建築物や家具・電気製品、はては女性の下着にまで流線型と称するものがあふれるのである。
実に馬鹿馬鹿しい話であるが、しかし一方で、この空前の大流行は、社会に危険な兆候をもたらすことになった。機能性、合理性を賞揚することがある種のスローガンになり、異物や他者を「科学的に」 排除する論理に直結していくのである。これを最も政治的に利用したのがナチスドイツであり、意外なことにアメリカでも、人種差別や優生学的選別といった点での理論的裏付けとなってゆくのである。
(もっとも、排他主義の点ではコミュニズムの教条性もまったく同様で、ナチスのバウハウス弾圧なんぞ、近親憎悪としか思えない)

さて、われらがEF55型機関車はどうだろう。こういっては何だが、従来からある方形の車体の先端に、流線型の部分をとってつけたようなデザインである。この時期は流線型の蒸気機関車や電車もいくつか製作されているけれど、後発国日本の限界なのか、どうも欧米の流行を表層的になぞっただけのように思える。まあ、それが面白いといえば面白いのだけれどね。
 
ただ、1930年代以降のドイツへの傾倒(当時の日本の雑誌でさかんに紹介されているドイツの姿は、どれもこれも来るべき世界、未来国家のようなイメージである)、そして大陸進出への流れを考えると、この流線型の時代の影響は多分にあるように思えるのだ。なぜなら、戦前の日本の鉄道車両の頂点を極めたのは、かの南満州鉄道の誇る巨大な流線型蒸気機関車、パシナ型なのだから。
 
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