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2008/05/30

Cry "Havoc!" and let slip


990円で購入した怪しげなバーボンを呑みながら、居間に寝転がって『新オバケのQ太郎』 を読む。最近ネットオークションで手に入れたのである。やっぱりドラえもんよりQちゃんのほうが面白いや、などと考えていたら、いつのまにかウトウトしていたようだ。

顔のすぐ横に人の気配を感じる。薄目をあけると、ちょこんと正座した息子が私のメガネを外そうとしていた。あらいやだ、ずいぶん手先が器用になったのね、とぼんやり眺めていると、奴はメガネを丁寧に折りたたみ、右手で握りしめて高々と振り上げたかと思うと、私の目もとに打ち下ろした。ぎゃっ。

目から火花が散ったのは、小学校の頃に軟球を眉間に受けて以来だろうか。メガネの、それもしっかりと角のとがったところをまぶたに叩きつけやがった。
 
あーあーあーと声を上げながら洗面所に向かい、目を冷やす。うう、涙がとまらぬ。後ろから聞こえてくる勝利の雄叫び。

誕生から1年、すっかり怪獣となりつつある。父母は温厚なんだがなあ。
 
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ぐふふ。


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2008/05/10

サザエさん満身創痍

 
寛政8年(1796)創建の重要文化財・会津さざえ堂は、

 
Saza


落書きの一大モニュメントであった。
 
 
上から下まで、内部は古今の落書きでびっしりと埋めつくされていたのである。いやもう壮観。この建物は、近代日本史をたどるラクガキミュージアムと化していたのでした。

(写真はクリックすると拡大します)


 
S14_2
昭和14年(1939)。第二次大戦勃発の年だ。
カーキ色の国民服が男の一般的な服装になったころ。新潟高校ですかね。


古いなあ、よく残っているなあ、と思って近くのを見ると、

 
M26_2
明治26年(1893)。
墨跡あざやかです。日清戦争の前年で、首相は伊藤博文。

 
古いものはほとんどが住所氏名だけである。「○○ここに来たる」式の訪問記録は、洋の東西・時代を問わず普遍的なものなんですね。ちなみにアンコールワットの外壁には、父母の健康を祈るために来訪した江戸時代の日本人の名が残っているそうな。

 
Sen
何も考えずに貼られた千社札も、もはや落書きに近いと思います。
 
 
Bo
奉額の上から貼るかね。
 
つやのあるコート紙に印刷された、裏がシールの千社札は嫌いです。あれはぜんぜん粋じゃないよ。最近は温泉場にも貼りまくる人がいるらしい。
 
 
Top
最上階付近。ここから通路は下り坂になります。すごい千社札の数。
 
 
レジャーブーム黎明期、昭和30年代の落書きが目立ちます。やはり修学旅行が多いですね。時代が下るにしたがって、だんだんレベルが下がるような気がするのは気のせいか。
 
 
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お約束の『バカ』 も多数。でもどうして馬鹿って書いちゃうんだろう。

 
150
今は400円です。拝観料。
 
 
Yu
祐子豪快すぎる。もう還暦前後のお年の筈です。


Face
誰?

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メリークリスマスかい。

Stone
おい。

 
Aiai
相合傘も落書きの定番でした。これはそんなに古くない。


21
21世紀モノ。なんだか幼児退行してるようだ。
 
 
 
もっとも古いのはどれだろうと方々探してみたら、あったあった。
 
Tenpo
 
天保四年癸巳(みずのとみ)。1833年です。
これは水野忠邦が老中に就任した年。175年前ですよ。
天災が多かったそうで、数年にわたる天保の大飢饉が始まった年でもあります。
 
 
個人的に、一番印象に残ったのはこれでした。

So
出征前に友人どうしで見に来たんですかね。昭和15年。無事復員できただろうか。
東京市神田の人。
(東京が都になるのは、太平洋戦争中なんですな)


いやいや、驚いた。すごい建物だった。

言うまでもありませんが、さざえ堂をこれから訪問する方、作品を眺めるだけにしましょう。絶対に、絶対に真似をしてはいけません。すでに凡人が思いつきそうなネタはほとんど網羅されています。いまさら新しい落書きをしたって何も面白みもないし、誰も感心しません。そもそも新たに書き足すスペースもないのですよ。
 
落書きの山にあきれ、義憤にかられるのが正しい姿勢である。文化財へのイタズラは実にけしからんです。それは分かってるの。
分かってはいるのだが、ここのはちょっと別格であった。こう言っちゃ何だが、きれいに修復したら面白みは半減するんじゃないかなあ。
 
 
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2008/05/07

サザエでございます その2

 
下野街道・大内宿取材の帰りに、会津若松市内を散歩。

猪苗代湖周辺や喜多方は何度も訪問したことがあるんですが、会津若松は初めてでした。駅周辺の旧道ぞいには古い町並みがわりと残っているんですね。

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これは昭和12年築の会津若松市役所。
近世復興式ってやつかな。素敵です。
(写真をクリックすると拡大します)

この写真を撮っていたら、通りがかった地元の男性が、「うわあ、こんなの撮るのかい!」 と恥ずかしそうに言うのね。古い、狭いで大変だとは思うけど、ぜひ大事に使ってくださいよ。新しい公共建築って、そんなにいいもんではないですから。

会津でぜひ訪問したかったのが、白虎隊終焉の地である飯盛山。ここにはへんな建物があるのである。

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通称・さざえ堂といいます。

明治の初めまで飯盛山にあった、正宗寺という寺院の仏堂である。寺は悪名高い廃仏毀釈運動で廃されてしまったのだが、三匝堂(さんそうどう)と名づけられたこの建築だけがあとに残された。
 
この建物、内部が二重らせん状になっていて、入場者は一本道のスロープを登って最上階まで行き、下り客とすれちがうことなく表に出られるという構造なのだ。説明するのが面倒くさいので、くわしくはこちらをご覧下さい。
 
 
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こんな感じ。なかなかよくできてます。

江戸時代後期の建築で、通路に面して33の観音像(現在は二十四孝の額)が飾られ、それを拝みながら歩くという趣向だったそうな。

珍しいし、現在は重要文化財にもなってるんだけど、これが何というかね、実にキッチュな建物なんですな。言っちゃ悪いが、見世物小屋テイスト全開なのである。そこがまた面白いんですが。
江戸時代後期に大流行した富士塚(富士山にみたてた築山を登る)などと同じで、庶民の遊山としての要素が非常に強い施設に思える。訪れる人も、敬虔な信仰心というより、「うわあ、こりゃ面白えぞー」 てな感じで楽しんだのだろう。幽霊画を見せたりとか、人魚のミイラ(注)を拝ませたりとか、アミューズメントパーク的な要素をもつ寺院というのが全国に結構あるのである。幕末の悲劇で有名になってしまった飯盛山だが、もともとは藩士領民の手軽な行楽地だったのではないかな。

注… 上半身がサルで下半身がシャケのこしらえモノ。よく考えるねえ。妖怪・水木しげる大先生は、「サルじゃないのもあったのでは」と、鋭くも怖いことを言ってますが。

 
さてさて、ぼんやりと歩けば5・6分で登って降りて、勝手に外に出てしまうこのさざえ堂ですが、わたくし、堂内を行ったり来たり、1時間以上は滞在しました。

いやもう、意外な面白さを発見しまして、夢中になったんですよ。


次回に続きます。

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2008/05/03

サザエでございます

 
取材で会津へ。

会津若松というところは交通の便が悪いところで、電車だと新幹線を使っても、福島から結構な時間がかかる。あそこは戊辰戦争で殿様が頑張っちゃったもんだから、頭にきた明治新政府が県庁所在地にしなかった、なんていいますね。

鉄道ブームらしいので、今回は電車ネタをひとつ。

福島から磐越西線というローカル線に乗り換えるが、電車が福島駅に到着する前から、なにやら落ちつきのない人たちがドアの前でウロウロしている。
何だろうなあと眺めていたら、駅についてドアが開いたとたん、プラットホームを脱兎のごとく駆け出していった。あとをついていくと、磐越西線のホームに停まっている電車にカメラを向け、さかんにシャッターを切っている。なるほど、鉄道ファンの方々か。

で、停まっていた電車がこれ。

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ほほう、こりゃ懐かしいや。

10年ぶりぐらいに見ました。昔のひかり号みたいな色のこの列車、夜は座席がベッドになるんですよ。確か昭和40年代のもので、今では数少なくなってしまった寝台列車に使われていた面白い車両です。まだ現役だったのか。
 
寝台列車というのは、ふつうは機関車がのんびりと客車をひっぱるのだけれど、これはモーターをいくつも積んだ電車だったので、えらくスピードが出た。昼は特急列車として、7~8時間かけて東北や九州までお客を運び、座席を箱根細工のように複雑怪奇な方法でベッドにして、帰路は夜行列車に変身するのである。
まだ東海道くらいにしか新幹線がなかった頃である。昼夜稼いで二毛作というか、いかにも高度成長期っぽい話で、まあ合理的ではあるんだけど、今から考えれば少々貧乏くさい気がしないでもない。
 
大体、寝台といったってこれ、3段ベッドなんですよ。3段。何回か乗ったことがあるが、窓があって多少解放感のある下段はともかく、上段と中段は梯子を登って狭い棚に体を横たえるだけで、天井が低くて座ることもできない。デッキから車内に入ると、通路の左右に屋根近くまで延々と寝棚のカーテンが連なっていて、ローマ帝国による弾圧期のキリスト教地下墓地というか、ベーカー街の死体安置所というか、なんともいえない構造なのでした。
もっとも、昼間は向かい合わせの席が応接間のようで、ずいぶんゆとりがあった。食堂車なんかもつないでおりまして、青森行の列車などでは、出稼ぎ帰りのお父さんが『エンドレス一人酒盛り』(注)の挙句に上機嫌でぶっ倒れたりしてて、なかなか風情があったものである。

注… 一杯だけ日本酒を注文し、あとはフトコロから出した五合瓶の酒をウェイトレスの目を盗んで延々と注ぎつづけるのである。昔はよくいたんだ、こういう人。大抵おみやげを一杯かかえたおとっつあんで、八戸あたりで目をしょぼつかせながら下車していた。久しぶりの帰郷で嬉しかったんだろうね。

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電車が動き出したあとも、若い鉄道ファンが数人、車内を回ってあちこち写真を撮っている。好きなんだねえ。
ちょっとうっとうしいなあと思うけれど、私も古い建物を必死で撮影していた時期があるので、あまり偉そうなことは言えない。

あれ、サザエの話にならないや。続きはあした。

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