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2006/08/31

懐かしくて買っちゃった

BOXYのボールペンです。復刻版が出てたのね。

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30代半ばを過ぎた男性なら、見覚えがあるでしょう。オレンジ色のボタンを押して、スーパーカー消しゴムをはじいたアレである。中のバネを伸ばしてパワーアップする奴もいれば、無理にバネを2本仕込む奴もいたな。あまり無茶をすると、ボタンを押したときに中身がすっとんでしまうんだよね。

久しぶりに手にしたら、書き味がなめらかでインク垂れもないことに驚いた。実によくできたボールペンなのである。中身はやっぱり昔のままではないのだろう。

購入以来、ネタ帳用のペンとして重宝している。


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オリンピックの顔と顔 ア、ソレ

候補地が東京に決まったと、竹田恒和JOC会長が発表した。

福岡市長は渋い顔をしていたが、快哉を叫んでいる市民も多かろう。財政を圧迫するだけでなく、どうせ長野のときのように膨大な額の使途不明金を生み出すに決まっているのである。会計帳簿はいつのまにかなくなったり燃えたりしちゃうものらしいし。

ちなみにこのJOC会長は旧皇族・竹田宮の一族であり、明治天皇の玄孫である。この人の息子は妙に政治方面に色気のある男で、愛子嬢の皇位継承問題がクローズアップされたときに、旧皇族を復活し縁戚関係をもつことをしきりに唱えていた。

http://www.amazon.co.jp/gp/product/4093876258/250-8972731-2754613?v=glance&n=465392

皇族になりたいんだねえ。この人。
 
子供のころから「世が世なら」 と言い聞かされて育ってきたんだろうな。何だか気の毒な人生と言えなくもない。
 

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2006/08/29

織田裕二の椿三十郎

森田芳光が『椿三十郎』 のリメイクを撮るというニュースを聞いてから、ずーっと考えているんです。

http://hochi.yomiuri.co.jp/entertainment/news/20060713-OHT1T00062.htm


織田の三十郎と聞いて心底ガックリきている人も多いようだが、黒澤版と同じアクション時代劇にするのではなく、山本周五郎の原作、『日々平安』 に沿って映画化すれば、佳作に化ける可能性もなくはないと思うのだ。山本の原作は、弱く臆病なサムライが知恵と機転でお家騒動を解決するストーリーなのである。
(あの短編を用心棒の続編に仕立てた菊島隆三は大したものだけれど、正直言って物語としては原作の方が数段面白い) 

もしそれなら観たい。本当に観てみたいが、どうやらオリジナルのシナリオどおりにやるらしい。おまけに角川春樹事務所の製作だしなあ。刀をさらに盛大に振りまわす映画になるのだろうな。
 
 
織田裕二という俳優については以前も書いたが、少々気の毒なポジションにいるように感じる。 
テレビドラマでファンの喜びそうな主役を張るのもいいけれど、いわゆる大御所とされる映画監督たちに揉まれてしかるべき役者だったと思うからである。これはまあ織田本人より、事務所の責任だけどね。
 
彼の20代のころは、ここ数年で次々と物故している往年の名監督・職人監督の多くがまだ健在だったのだ。
 
 

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2006/08/27

サイバーショット その2

さて、無償修理に旅立ったわがデジカメですが、実は他に大きな欠陥があります。といっても、これは自分の責任なので、メーカーに文句をいうわけにはいかない。レンズ面の保護ガラスをサンゴでこすってしまい、傷をつけてしまったのである。
 
油断して大雑把に扱いすぎました。空を入れて撮影するとこんな感じになります。
写真は両端をぶった切られながらも奇跡的に残っている、上野の有名な長屋。同潤会上野下アパートの目の前にあり、先代の林家正蔵が住んでいた家です。

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画面の右上、空の部分の光が拡散し、ハレーションをおこしています。知り合いの写真家に、「あれ、凝ってますね」 と言われたが、別になにも細工しとらんのです。面白いといえば面白いが。
 
ちなみに水中では光線の屈折の加減か、実用上とくに支障はない。
修理をしてもいいんだけど、防水仕様だけに少々お金がかかるんだよね。陸上ではメモ程度にしか使っていないし、どうしようかと考えていたが、カメラを逆さにして撮ればいいという実に単純なことに気がついた。 
 
以来、空を入れて撮るときは、カメラをひっくり返し、シャッターを親指で押して使用中。へんな形のカメラをへんなスタイルで構えているせいか、道行く人から怪訝な顔で見られるので困っている。
 
 
 
 
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本来のU-60のかまえ方。この裏側、親指と人差し指のつくる
輪っかの中にモニタ画面がある。よくできてます。
 
 
 

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2006/08/26

サイバーショット その1

デジタル一眼を購入したら、まるで気分を害したかのようにコンパクトデジカメが壊れてしまった。電源を入れてもモニターにノイズが入り、撮影できない。
 
わが愛機は、ソニーのDSC-U60というマイナーな製品です。はじめて購入したデジタルカメラでした。

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オバケのQ太郎みたいなへんなデザイン。
片手ですべての操作ができるので
なかなか使いやすい。携帯っぽいですが。

 
実はこれ、1.5mまでの水中撮影が可能なマリンカメラなのです。八重山で本格的にスノーケリングをするようになって、防水ケースに入った「写るんです」 では物足りなくなっていた3年程前に、新製品を購入したのでした。
 
当初はカシオの薄型デジカメとマリンケースを買おうと思っていたのだけれど、考えに考え、こっちを選んだ。離島で知り合った人が、ケースに浸水させてカメラをダメにしたのを見ていたし、ケースの出し入れの手順なども実に大変そうで、U60のほうが大雑把に扱っても大丈夫だろうと考えたのである。
これが大正解でありました。丈夫で使いやすく、高画素数の後継機が出ないのが不思議なほどいいカメラだった。

最初はけっこう水中でも気を使っていて、少し深く潜るときは一緒に泳いでいる妻に手渡していたのだが、そのうちに意外と頑丈なことが分かってきた。安全係数をかなり大きく取っているらしく、4・5mの水深でも問題なく動作している。スノーケリングなので、あまり水中に留まっていないことも幸いしているのだろう。もっとも、あまり潜ると壊れるより先に、水圧でボタン類が動かなくなるらしい。

 
写真はクリックすると拡大します。
 
 
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黒島リーフ内のスズメダイのみなさん。


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波照間島はニシ浜在住の、カクレクマノミご一家。
これで水深4メートルくらい。逆立ちして撮ってます。

 
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黒島リーフの主、ゴマモンガラ様。結構でかく、
水中で急に会うと驚きます。
 


ちょい撮りのカメラがないというのは意外と不便なもので、修理しようか考えていたところ、ソニーのHPでなんとリコール対象になっていることを発見。同じ不具合がでている個体が多いらしい。すでに修理した人には、代金を返却するとのこと。サービスステーションに電話したら、翌日回収にやってきた。おお、素早いぞソニー。

ソニー製のHDDプレーヤーの不具合と、その対応に幻滅していたところだったので、ちょっと見直してしまった。 Oリングを注文して、来年の夏に備えよう。
 
次回に続きます。

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2006/08/24

週刊文春

ドンタコスをつまみながらウィスキーを呑む。どこがタコスやねんというようなお菓子だが、タマネギを刻んで載せてみたらほんの少し旨くなった。次回は挽肉でもトッピングしてみよう。
 
週刊文春の連載陣がずいぶん入れ替わってしまった。高島俊男先生の「お言葉ですが…」 のファンだったので、連載終了は残念である。もっとも、最近は明らかに連載初期の勢いはなくなっていたけれどね。

林真理子が沖縄・八重山の離島を旅行したらしい(今週号参照)。民宿に宿泊することに抵抗があるらしく、石垣のホテルからの移動を躊躇している。まあ正直な人である。島の民宿、ダメな人はダメだろうからなあ。
ホテルがなく7000円の民宿がある島というのはどこだろう。竹富か小浜、あるいは西表だろうか。忙しそうだし、与那国ではないだろう。

来週号に続いているので楽しみ。

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2006/08/22

祝・早実ナイン

市のプールでクロールの練習。

帰りに回り道をして、国分寺の駅と早稲田実業の前を通ってみる。この学校は隣町ではありますが、家から1キロ半ほどの場所にあります。

駅のコンコースに椅子でも並べて市民で観戦していたのかと思いきや、そういった形跡はまったくなし。学校近くのガソリンスタンドに、「甲子園優勝おめでとう」というシミジミとした手書きの紙が貼られていたほかは、駅前に早実の応援や優勝を祝う飾りつけはみられなかった。残念ながら、地域の盛り上がりでは完敗でした。

早実が国分寺に移転してから数年、やっぱりまだ地元の学校としては認知されていないのかな。丸井の屋上から垂れ幕でも下げてやればいいのにねえ。

もっとも、あの学校の閉鎖的な構造(城壁のように校舎の壁がそびえ、通りから校内の生徒の様子がまったく見えない) も問題だと思います。なんとなく街の人々を拒絶しているように見えるんだよね。
 

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2006/08/18

ダーメダメダメ

懐かしくて笑った。考えてみれば、この人もキャリア長いよね。

http://www.youtube.com/watch?v=fkMBO1IZkBo 

えー、10代の終わりころに『DOLL』 というきわめて偏った音楽雑誌を愛読しておりまして、そのなかの読み物ページに、毎回バンドマンのインタビューが載っていたんですね。
「影響を受けたミュージシャンは」といった質問のほかは、「好きなTV番組は何ですか」とか「どこに住んでいますか。家賃は?」なんてきわめて凡庸なクエスチョンばかりだったけれど、インタビューされてる連中はここぞとばかり頑張って、ロックでパンクな返答をひねり出そうと努力していた。
住んでいる家について聞かれて、「道楽息子に家賃なし」 と喝破してたのは大槻氏だけであり、非常に好感をもった記憶があります。そういえばライブ告知欄に「大槻モヨコ・国際商科大学留年決定ギグ」 なんてのも載っていたな。
 
 
録画しておいた『この世の外へ クラブ進駐軍』(2003) を観る。うーん、何だかなあ。お金はかかってるみたいなんだけどね。
オダギリジョーがもうけ役であった。彼と浮浪児のエピソードを中心に描いたほうが、面白い映画になったと思われる。阪本順治監督はこの手の音楽映画には向いていない。
 
この映画の音楽描写に割り切れなさを感じた方は、『病院坂の首縊りの家』(市川昆)のオープニングと見比べてみてください。

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2006/08/09

ニュースヘッドライン

図書館の資料室で、昭和30年代の新聞を調べている。

昨年、この時代を舞台にした日本映画のコピーで、「携帯もパソコンもTVもなかったけれど、どうしてあんなに楽しかったんだろう」 というのがありました。以前にも書いたけれど、あんまり過去を美化しすぎるのもどうかと思う。凶悪犯罪の増加が注目される昨今ですが、悲惨な事故や犯罪はやっぱり昔のほうが多いんだよね。以下、昭和30年の新聞記事から。

「危い! 新型車の飾り通行人に衝突 刺し殺す」

車のボンネットについているマスコットが人に刺さったようです。しかし昔の新聞のヘッドラインは実にナマナマしい。

「今暁戸塚で養老院焼く 老婆95人焼死」

悲惨な話です。昔の事件や事故は犠牲者がやたら多いものが目立つ。国鉄の連絡船・紫雲丸が沈没し、多くの修学旅行生が犠牲になったのもこの年である。
しかし「老婆」ってあなた…。

次に初夏の話題を。

「湘南にどっと10余万人 ぐずついた空もよう 原爆実験の影響」

そりゃ嫌な天気だ。嫌すぎる。
政治面には毎日のようにキノコ雲の写真が掲載されておりまして、もちろん米ソのものです。某国の欠陥ミサイルの発射騒ぎなんぞ問題になりません。「イギリス、水爆製造を開始」なんて速報もあった。

「中学生らピストル強盗」

在日米軍の工場に忍び込んで拳銃を盗み、お縄になったらしい。拳銃がらみの犯罪がじつに多いのだ。
米軍といえば、当時はアメリカ空軍の飛行機が毎月のように日本のどこかで墜落してます。死者が出ていることも多いんですが、たいていベタ記事扱いです。

「放浪中の天才画家 山下君の画集出版」

裸の大将、リアルタイムで放浪中なんですよ。


最後に一番インパクトがあった見出しをひとつ。

「捕物用の十手で殺す」

これは一体、どういうシチュエーションだったのだろう。
 
 
 

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2006/08/08

ゆけゆけ八重山商工

高校野球の沖縄代表、八重山商工の逆転勝利に酔う。ことしは波照間に行かなかったので、応援にも熱が入ってしまいます。
春の選抜のときと比べて一回り体格が大きくなったエース大嶺が頼もしいが、何といっても金城長靖がすばらしい。2回戦は13日。このまま勝ち進んでほしいものである。オリオンビールと八重泉を準備して日曜日に備えます。

市の体育課から電話があり、カヌー教室が中止になったと知らせを受ける。わが町の市営プールで毎年夏に行われているイベントであり、過去何回か参加しているのだが、久しぶりに夫婦で申し込んでいたのである。
明日からプールの改修工事に入るとのこと。残念だが仕方がない。
 
ふじみ野市の事故以来、全国の都道府県で点検・改修がはじまっているらしい。
 
 
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2006/08/07

いや暑いです

八重洲にある、JTB旅の図書館で資料探し。
 
東京駅八重洲口も大工事が始まっている。左手にあった交通会館の古ビルもなくなっていて、図書館のある鉄鋼ビルの場所が分かりづらくて困った。交通会館は都道府県の観光資料を集めに何度も足を運んだので、けっこう愛着があったのだが。
(仕事をしてるんだかしてないんだか判然としない、各県のブースが面白かった)
 
新宿エルタワーのニコンプラザに寄り、朝預けていたカメラを受け取りにいく。お約束のローパスフィルターの清掃である。デジタル一眼の普及で、あのサービスセンターの仕事の半分近くはこの清掃作業になってしまったのではないだろうか。保証期間中とはいえ、無料でみてもらうのは申し訳ないような気もする。
メインテナンスキットを買うかな。
 
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2006/08/06

8月6日の月

ここ数日、夜空に輝くお月様を見上げております。きのうの夜は真っ赤でしたね。

でかい望遠レンズは仕事で使う機会がないのでもっていないのだが、実家に野鳥を見るフィールドスコープがあるのを思い出した。そうだ、あれ一眼レフにつなげるんだっけ。

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何だかバズーカ砲みたいになっちゃった。
デジカメにつなぐと1200ミリの超望遠になります。

さっそく月を撮ってみました。

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写真はクリックすると拡大します。
中心から少し左上、放射状に広がっているのは、コペルニクスとよばれるクレーターで、約10億年前に隕石が衝突した跡だそうな。左下にあるのがティコクレーターで、このあたりに黒い直方体の板が埋まっているはずです(嘘)。
 
やっぱりちゃんとしたレンズのようには綺麗にとれませんね。ぶれちゃったし。何かコツがあるのかなあ。

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2006/08/05

稀代の名著 その3

 『魔の三角海域』 を翻訳した福島正美が、あとがきで興味深い文章を残している。福島は日本SF黎明期の名編集者。惜しくも早逝したが、作家・評論家としても活躍した人物である。サイエンス・フィクションが一般的に認知されていなかった時代からのパイオニアであり、指導者、教導者的な立場にあったようで、その文章もいま思えばかなり臭みがあるのだが、面白いのでこちらも紹介してみたい。

 かつて円盤(UFO)肯定論者は少数派だった。アトランティスや、ムーの研究家も、ごく限られていた。超能力の可能性を、一つの仮説として探ろうとする者の数も、知れていた。だが彼らは、誇り高い少数派だった。日常感覚のぬるま湯に浸りきって、いっさいの危険な思想に触発されないことを正常さの証拠として信じている大多数の明盲たちを尻目に、はるかな宇宙空間との、膨大な時間の彼方の世界との、人知を超えた超越者との関連を夢み、そのためエリートたるの資格を持つと自負していた。
 だが、このところ、かつての少数派は、多数派に変わろうとしている感がある。いまやUFOの飛来を――超古代文明の存在を―― 先史時代における宇宙人の来訪を―― 超能力の存在を信じないものは、すべて偏狭な精神的盲者として蔑まれそうな気配がある。
 一歩退いて、この絵を心に思い描いてみるがいい―― この地球が、ひっきりなしに、他の惑星からの宇宙船の偵察をうけている。しかもそれは、昨日今日始まったことではなく、遥か先史時代から、継続的に行われてきた。そして、そうした宇宙人から教えられた技術によって建設されたさまざまの土木事業や建築物が、いま謎の遺跡として、世界中に存在する。それと同時に、世界の他の部分が、まだ中石器時代に低迷していたとき、すでに鉄器文明の―― いや、場合によっては現代以上の、スーパーサイエンス技術さえ持っていたと思われるアトランティスやムーが、大西洋と太平洋上に存在したというのである。さらには、現在この瞬間にも、現代物理学を根底から覆すほどの意義をもつ超能力を備えた人物が、世界中に―― いやこの日本にも、おそらく数千人も実在するという。そして、アメリカ南東部海域や、日本の東南海上をはじめ、世界中の一ダースもの地域で、船や飛行機やその乗客・乗員を文字通り蒸発させてしまう、不可思議な現象は日夜起こっているというのである。
 どう考えても、フィクションである。もし現実が、これほどドラマティックで、同時にファンタスチックあるとするなら、われわれは退屈する暇さえないだろう。(後略)

 福島は 「興味本位に走りすぎ、センセーショナリズムに毒されすぎて、当然あっていいはずのごく当たり前の解釈をなおざりにしている」 現状を嘆き、こう続ける。

 なぜ彼らは、仮説を仮説として提示し、フィクションをフィクションとして楽しむことに満足しないのだろうか? なぜ彼らは、仮説を、あるいはフィクションをすら、現実と直結しようと躍起になるのだろうか。仮説から検証を飛び越して、一気に一般法則として短絡したがるのだろうか?

 繰り返すが、これは30年前に出版された本なのだ。21世紀の現代でも思い当たることはないだろうか。
 インターネット時代が到来し、あふれる情報の中から正しい情報を選び取ることの重要性があらためて認識されるようになった。今でもこの古い本から学べることは多いようである。
 
(引用はすべて『魔の三角海域 -その伝説の謎を解く』 ローレンス・D・クシュ 角川文庫版より)


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稀代の名著 その2

バミューダ三角海域の話の続きです。

 
船舶や航空機の消失事件の多くが合理的に説明がつき、ミステリーとされているものは故意につくられたものである、というのがクシュの結論である。

「まず杜撰な調査に始まり、ついで誤った概念や間違った推理、あるいはセンセーショナリズム好みの作家たちの手によって故意に、あるいは無意識的に修飾されてできたものにすぎない。それが、無意識的に繰り返し語られたおかげで、真実めいた霊光(オーラ)をおびてきたのである」(同書より)

長文になるが、本書のエピローグから紹介しよう。文中に登場するルビコンやマリン・サルファー・クイーン、フレヤ、グローブマスターなどは、バミューダ三角海域で消失したとされる船舶や航空機の名称である。

1  充分なデータが発見されれば、たいていの事件についての論理的な説明がつく。たとえば、ルビコン事件でも、同船が港に繋留されていたときからハリケーンが襲ってきていたとすれば、ミステリーとは考えにくくなる。マリン・サルファー・クイーンの構造上のけ官と、沿岸警備隊の調査報告に記載されている天候条件とについて知れば、同船の消失をミステリーと考えること自体がむずかしくなる。

2  二・三のごく稀な例外を除き、謎の解けない事件は、データ不足である。かなりの事件において、重要なデテールの部分が、そして一部においてはその全体が、完全なフィクションであった。

3  消失事件は、海洋全体で、時には陸上ですら起こっている。私の研究中、ニューイングランドから北ヨーロッパにいたる各地で一八五〇年以来、二〇〇以上の船あるいは飛行機、またはその乗員が消えている事実が発見されている。
バミューダ三角海域中で発生したとされる消失事件のなかには、同海域以外のところで起こったものがかなり混っている。たとえば一九〇二年に太平洋で発見されたフレヤ、一九五一年にアイルランドで墜落したグローブマスターなどがその好例である。いわゆるバミューダ三角海域ミステリーの全部を図示すれば、それらが、カリブ海、メキシコ湾および北大西洋全域にわたって起こったことが明らかになり、バミューダ三角海域のユニークさは失われる。

4  行方不明の飛行機・船のうちには、バミューダ三角海域を通過しただけなのに、そこで消えたとされているものがある。たとえばアタランタは、バミューダからイギリスまでの間のどこで沈んでいても不思議はない。

5  多くのケースで、犠牲となった船・飛行機の最終地点はまったく不明で、広大な海域のどこでもありうることが多いのである。たとえばスター・タイガーに関していえば、同機はバミューダとジャマイカの間で落ちたということが判明しているにすぎない。

6  多くの事件は、発生した時点では少しも不思議と思われてはいず、何年も何十年も後に、バミューダ三角海域の材料を集めていた研究家が、それに言及してはじめて怪事件となっている。起こって何十年もたった事件について完全な情報を探しだすことは、しばしばきわめて難しい。

7 流布している<伝説>とは裏腹に、事件発生時の天気は、たいていの場合悪かった。かなりの事件で、よく知られているハリケーンが犯人である。

8  多くの事件が、夕方あるいは夜間に起こっていて、翌朝までは捜索隊が目で確かめることを困難にしている。このあいだに、海は、あったかもしれない残骸その他を、散逸させてしまうことが十分にできた。

9  この事件について書いている作家の多くは、独自の調査をせず、以前の作家たちの書いたものを自己流に踏襲しているにすぎない。その結果、間違いの多くはそのまま温存され、大袈裟な尾鰭がついてくる。

10  相当数の事件で、作家たちは、消失を解明するはずの明白なデータを故意に隠している。

これらの考察のうち、とくに9は、現在も流布しているさまざまな伝説、たとえば「ホロコーストの虚構」 であるとか、以前に紹介した「アポロ月着陸の嘘」 などにもそっくりあてはまることがわかる。インターネットの普及で、大袈裟な尾鰭をつけることができるのは一部の作家ではなく、HPやブログをもつすべての人間になっているのだが。
  
『魔の三角海域』出版後、潮が引いたようにこのミステリーのブームは去っていった。その後いくつか新説も登場しているが、クシュの研究を論破できる内容に出会ったことがない。メタンハイドレード原因説などは面白いけれど、「船舶や飛行機が謎の消失をしている」 ことが前提になっているので議論にならないのだ。
現在もテレビのバラエティ番組で、思い出したようにバミューダ・トライアングルが紹介されることがあるが、本書の研究は意図的に無視されていることが多いのである。

次回に続きます。

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2006/08/04

稀代の名著 その1

 小学生のころに父親が買ってくれた一冊の文庫本があって、この本だけは30年たった今でも処分する気になれず、本棚に並んでいる。ローレンス・D・クシュの『魔の三角海域 ―その伝説の謎を解く― 』(The Bermuda Triangle Mystery -Solved  福島正美訳) という本で、角川文庫が出していた海外ノンフィクションシリーズの一冊である。物ごとの真贋をどうやって判断していくかというプロセスを教えてくれた、私にとって宝物のような本だ。

 この本はすでに絶版になっていて入手困難である。本書をご存知で、もし何らかの手段で入手したいと思われる方は、今回から数日にわたって大幅に引用しますので、お読みにならないようお願いします。

 
 1970年代前半のことである。石油ショックに始まるインフレと社会不安のなかで、終末論的な書籍が数多く書店に並び、さらには超能力をはじめとするミステリーや超常現象、オカルトの大ブームがおきていた。五島勉のノストラダムス本がベストセラーとなったり、テレビでユリ・ゲラーがスプーンを曲げて大反響を呼ぶと、日本中からスプーン曲げのできる子供たちをあつめて特別番組がつくられたり、UFOや宇宙人との遭遇談が毎週のように紹介されたり、しまいにはベルトにスプーンを押し付けて曲げていた少年が証拠写真とともに新聞ですっぱ抜かれたりと、さまざまな騒動が起きていた。
 
 バミューダトライアングルもそのころに注目されたストーリーだった。アメリカ南東部の大西洋岸、フロリダとバミューダ、プエルトリコを結ぶ三角形の海域上で、晴天にもかかわらず、数多くの船舶・航空機が痕跡を残さずに消失しているというミステリーである。幽霊船メリー・セレストの謎や、スピルバーグの出世作、『未知との遭遇』 で冒頭のエピソードとなったアメリカ海軍の第十九編隊、アヴェンジャー雷撃機の失踪はとくに有名だ。

 三角海域のエピソードを紹介するさまざまな本に飽きたころ、クシュの本に出会ったのである。驚いたことに、本書はそれまでのミステリー本とはまったく趣が異なっていた。
 著者はアリゾナ州立大学図書館の職員(のち館長)で、バミューダ三角海域に関する資料の問い合わせが多いことに好奇心を抱き、自ら研究をはじめた人物である。学生時代に資格を取得した民間パイロットでもあり、これが航空機の消失事件を解釈する上で大きな力となったという。
  
 クシュがまず注目したのは、流布しているさまざまなエピソードが真実なのかということであった。彼は図書館員としての立場を活用し、まずロイズ船級協会の資料にあたる。ご存知の方も多いかと思うが、ロイズはイギリス最古の保険組合である。
 消失した船の多くは商船であり、積荷の喪失は船主、雇主にとって大打撃となる。船舶保険の支払い状況が確認できれば、遭難事故の真贋を確認できるのだ。彼は続いて、消失事件が発生したとされる日時のバミューダ海域の天候状況をさまざまな記録から洗ってゆくのだ。

 クシュは現地におもむくことはしない。いわばホームチェア・ディテクティヴ(安楽椅子探偵)の立場にあるともいえる。その謎解きの過程はまるで上質のミステリー小説のようで、読み進めていて興奮を押さえられなかった。そして彼はひとつの結論に達するのである。

バミューダ海域にいっさい謎など存在しない、と。

  
次回に続きます。
 
 

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2006/08/03

どんなもんじゃい

と言われたって、あの判定では見ているほうも困ってしまう。

(TBS以外で)叩きに叩かれているのが分かっているのだろう。今日の亀田君は元気がなく、見ていて気の毒であった。マッチメイクの問題はあれど、彼が懸命にトレーニングしてきたのは事実だし、今回も試合自体はなかなか面白かったのである。
親の言いつけを愚直に守ってきた19歳が、一夜明けてみたら数万の非難にさらされる羽目におちいった。テレビをつけても、よくやったと褒めてくれるのはTBSだけなのだ。彼の心中やいかばかりか。

しかしまあ、親子鷹などと試合前にさんざん持ち上げていたけれど、あの父子の密接な関係、親子の絆を褒め上げるのは絶対に間違っていると思うのだ。あの父親は乗り越えるべき対象であり、本来亀田君はその時期にさしかかっているはずなのである。夢を息子に託す、とは聞こえがいいが、子離れできない父親も父親である。
 
彼らをみていて感じたことがいくつかある。

・幼なじみ、あるいは家族の絆を何より大事にすること。身内への限りない信頼。

・自分の生まれ育った地元へ愛着。

・それらの愛情が閉じた円環を成していて、そこからおもてに出ようとしないこと。

これらがヤンキー文化の特質であるのはいうまでもない。
こういった価値観にシンパシーを感じる人々が今回のTBSの戦略上にあったのだろうが、亀田君の本質はヤンキー兄ちゃんとは遠いところにあるように思う。テレビ局の言うがままに役作りをしていたらああなってしまったのだろう。
底の浅い感動をでっち上げ、強引に物語化して視聴者に押し付ける最近のテレビ番組には辟易するが、文句をいっている他局だって、まったく同じことをやっているのである。

知人のノンフィクションライター、西牟田靖さんがブログで「亀田は家出しろ!」 と書いていた(8月3日)。 まったく同感である。父親以外の指導者に教えを請うことができたら、他人とのさまざまなつきあいを覚えて世界を広げることができたら、どれだけ人間として成長することだろう。

指導者である親父のもとを飛び出した例に、スノーボードの成田童夢・メロ兄妹がいる。原因はどうあれ、長年導いてくれた守護者から離れるのは勇気が必要だったにちがいない。オリンピックでの彼らの言動を批判する声も多いが、この件については本当に感心している。

 
さて、TBSは今後どう落とし前をつけるのか。楽しみである。

 
 

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追悼 吉村昭

作家の吉村昭さんが亡くなった。

歴史小説の第一人者で、30年近く愛読していた作家だった。朝日新聞に昨年連載していた小説『彰義隊』の単行本出版記念として、年末に行われたトークショーでお元気な姿を拝見していたので、今回の訃報はショックだった。

http://speedbird.air-nifty.com/speedbird911/2005/12/index.html
(12月18日)

恥ずかしいので書かなかったが、講演が終わり、著書に署名して頂くときに、私は自分の本を吉村さんに差し上げたのである。私の本で取り上げた北海道の歴史的建築、とくに監獄建築に興味を持ったきっかけは、氏の『破獄』、『赤い人』などの作品の影響だったからである。
緊張してろくに説明できなかった私を、あの「刑事と間違えられる」 という鋭い目で見据えた吉村さんだったが、帰り道に東京駅でお見かけしたら、本が入った袋を提げておられたのでほっとした。あのときもう少しお話できればよかったと悔やまれる。

吉村氏は徹底して資料や証言を重視する作風で知られるが、氏の小説を読んで、歴史へのアプローチの方法というものをいろいろ考えさせられた。
『戦艦武蔵』『深海の使者』など、太平洋戦争でのエピソードをテーマにした作品が数多いが、昭和40年代の半ばから、この分野の作品はほとんど書かなくなっていた。作品を仕上げるに足る証言を得ることが難しくなったのだという。確かに、私が小中学生だったころは、まだ戦記に登場するような旧軍人が数多く余生を送っていたのである。平成18年の現在、軍人恩給を受け取っている旧陸海軍関係者に、すでに将官はいないと聞く。
『海の史劇』における日本海海戦の描き方、『生麦事件』での島津久光の性格描写を、司馬遼太郎の同テーマの作品と比較してみると興味深い。どちらが優れているというわけではないのだが、作家の資質とは何か、ということががわかるような気がするのである。

数年前に職場の中学校で、生徒におすすめの本はないかと司書の先生に聞かれて、吉村氏の『漂流』を推した。『戦艦武蔵』、『高熱隧道』、『背中の勲章』、『熊嵐』と、初めて読んだときに震えるような感動を覚えたものだ。若い世代の人に、もっとこの作家の作品に触れてほしいと思う。


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2006/08/01

サイクリング日和

取材で深川へゆく。

久しぶりに神田神保町にあるレンタサイクルで自転車を借りた。都心部の取材では、実は自転車が一番便利なのである。3年ほど前にこの店をはじめて利用したとき、神保町から北の丸公園まで3分足らずでついてしまうことが驚きだった。

今回は隅田川を渡ります。

靖国通りを小川町、岩本町と抜け、両国橋を渡って墨田区へ。回向院の手前から南下して江東区に入り、森下、常盤と進むと、小名木川にかかる萬年橋が見えてくる。あとは運河沿いに行ったり来たり、清澄庭園をのぞいたり、横十間川の橋をめぐったり、富岡八幡から越中島に足を伸ばしたりと、充実した1日であった。帰路は美しい清洲橋を経て、日本橋、常盤橋、鎧橋から外堀通り経由で神保町へ。
なんだか橋ばかり見ているようだが、昔の東京は、実は水の都だったのですよ。江東区はその面影を残しているのだ。
 
街を縦横にはしる運河には、水位を調節するための水門があって、見ていてあきない。

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カヤック乗りの人がやってきました。水門の前ではホイッスルを吹きます。

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カヌーも一人前の船舶として扱われます。上昇した水門からはシャワーのように水がしたたっているので、いそいで通過しないとずぶぬれになってしまいます。


 
今日は涼しくて助かった。帰宅後、キルビメーターを地図にあてて測ってみたら、どうやら6時間で35kmほど自転車をこいだらしい。これは東京駅から国立ぐらいの距離である。思ったほど疲れなかったが、あしたは体が痛いかも。
 
 

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