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2006/05/21

めずらしく教育の話

他者に暴力を受けたとき、ある者は怒りや憎しみを感じ、ある者は萎縮し、ときにパニックに陥る。力によって服従させられる者もいるだろうし、さらに反抗するものもいる。
 
体罰を肯定してしまうと、反抗しつづける者、効果があらわれない者への暴力は、どこまでもエスカレートせざるを得ないのだ。
私はべつに非暴力主義者ではない。しかし、「適度な暴力」で更生(服従)した者を例にあげ、体罰は教育であると説明されても、どうも納得しづらいのである。
さらに、戸塚ヨットスクールの場合、自閉傾向のある子供など、明らかに医学的ケアの必要な子供に対しても体罰を加えていた。当時は自閉症・高機能障害への理解が進んでいなかったとはいえ、出所後の戸塚は例によって体罰教育論を繰り返すばかりで、指導方針の見直しについての説明はなかった。

教育というのは、メソッドの共有だと思うのである。

子供の心はさまざまであり、すべての人間に同じやり方が通用することはない。公教育の現場で指導力のある人物を何人も見てきたが、自分なりのやり方を芯に据えながらも、さまざまな方法を取り入れて試行錯誤を繰り返していた。同僚と話し合いを重ねて経験を深めていくやりかたは時間がかかるし、すぐに効果があがらないことも多い。しかし少なくとも、この方法をとる教師の多くは自分の経験を絶対視せず、謙虚であった。
 
民間の教育組織を主宰する人物はさまざまだが、マスコミで取り上げられるのは、戸塚のように自らの方法に揺るがぬ自信をもつ人物のほか、不良だったとか、自分がいじめを受けてきたとか、引きこもりの経験をもつとか、特異な経歴をもった人が多い。その経験は確かに貴重なものだが、自分の経験則に絶対的な価値をおき、柔軟性のない指導をすすめていることはないだろうか。
 
先日、名古屋にある民間の引きこもり厚生支援施設で死亡事故が発生し、代表ら職員7人が監禁容疑で逮捕された。
この施設の責任者の姉は同様の活動をしており、TVでしばしば紹介されている。子供の引きこもりや家庭内暴力に悩む家庭を訪問し、子供を(成人の場合も多いが)施設に引き取るのである。自身に引きこもりやいじめの被害の経験があるらしく、この世界では結構著名な人物らしい。
この女性が、引きこもりの中学生を自分の施設に入れるまでの様子を紹介している番組を見たことがある。ご覧になった方も多いと思うが、非常に言葉づかいが汚い人で、まず私はそれに嫌悪感を感じたのだが、驚いたのは子供の前で親を徹底的に批判することだった。子供の感じている怒りや不満を代弁しているようにも見えるが、よく考えれば親の権威を徹底的に破壊し、「同居している」 という点でかろうじて繋がっている親子の絆を断ち切り、子供の居場所をなくしているのである。あれでは子供は彼女の施設に行かざるを得ない。共同生活で社会性を養うことができたとしても、家に帰ったあとの親子関係はどうなるのだろう。

立ち直る者がいる一方で、このやりかたでどれくらい心の傷を深めた人間がいるのだろうか、と容易に想像できる指導者や組織は、私は信用しないのです。

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コメント

お久しぶりです。

 今の世の中、方法論を求め過ぎ、類型化し過ぎ、という気がします。「教育」(或いは「更生」)の「成功例」のある人はそれを全てに原則化して当てはめようとしているように思われますし、自身の「立ち直り」経験から教職に就いている人はまた自己の体験、葛藤を全ての子供たちの迷いや悩みに普遍化して考えてしまう。
 所詮、人間は「自分」というフィルターを通してしか世界を理解できませんから仕方ないとも思いますが、他者を他者として認識すること、がまずは必要なのではないか、と個人的には思っております。「理解すること」には往々にして誤解と思い込みが入り込みますので、まずはあるがままを認識することではないかな、と。
 その上で、あるべき姿、導くべき道、といったものも果たしてあるのかどうか分からない現代世界で「教育」に携わるというのは、大変なことなんだろうな、と想像します。
 ドストエフスキーは『カラマーゾフの兄弟』の前書きで、「奇人とは『必ずしも』個々の特殊な現象とは限らぬばかりか、むしろ反対に、奇人が時として全体の核心を内にいだいており、同時代のほかの人たちはみな、突風か何かで、なぜか一時その奇人から引き離された、という場合がままあるからだ・・・」と述べておりますが、全くその通り、と思います。

投稿: maki ryota | 2006/05/21 23:53

makiさん、お久しぶりです。
書きこみありがとうございます。

>自身の「立ち直り」経験から教職に就いている人は
>また自己の体験、葛藤を全ての子供たちの迷いや
>悩みに普遍化して考えてしまう。

カウンセリングに従事している人の中にも、こういう
人がいますね。上手くいっている人もいますが。
 
TVでよく取り上げられる教育関係者って、
たいてい自分のポリシーなり方法論を開陳するんだけど、
それが失敗した場合、二の矢・三の矢を用意しているのかと
人事ながら心配してしまいます。

そういう意味では、現場を離れて教育講談家になって
しまった元ヤンキー先生は利口だな、と思います。

投稿: ユウユウ | 2006/05/22 19:07

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