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2005/09/26

ふくろうの本その2 『わたしは幽霊を見た』

前回の続きです。

この本を記憶しているのは、1970年代前半に小学生だった世代だと思われる。ネット上でもときどき話題になっていて懐かしいが、誰もが必ず触れているのが、巻頭ページに載っていた「亡霊の絵」 なのだ。これは昭和20年代、伊豆のホテルに宿泊した医師が、夜中に部屋に入ってきた兵士の幽霊をスケッチしたというイラストである。
 
この絵がね、怖いんですわ。黄ばんだ紙に描かれた稚拙な鉛筆画なのだが、当時の子供たちに強烈な印象を残したのではないだろうか。学校に何回か持って行ったことがあるが、このページだけは見たくないという友人も多かった。
今思えばこの記事が載っているグラビアのデザインもかなり不気味で、添えられた伊豆の風景写真も妙にまがまがしく感じたものだ。

ちなみに、私が少年時代に見てトラウマになった写真やイラストは他にもあった。コティングリーの妖精写真と(森の中で少女の目前を羽の生えた妖精が跳ねまわっている。のちにガセと判明)、フラットウッズの怪物(仏像の光背のようなものを背負った、修道士みたいな宇宙人) である。これらもかなり恐かったのだが、『わたしは幽霊を見た』 の亡霊さんのインパクトには到底かなうものではなかった。

さて、このイラストですが、書名を検索すると最初に出てきます。
本当に1発目でいきなり拾うのだ。何気なくそのページを開いてしまい、もう驚いたのなんの。記憶の引出しの奥の奥にしまい込んでいたモノが数十年の年月を乗り越え、いきなりモニターに大写しになったのである。体が凍りついた。
ヘタな絵だし、「なんだ、たいしたことないじゃん」 と思う人も多かろう。しかしですね、恥ずかしながら私はいまでもちょっと怖いのだ。
気の小さい人はご覧にならないほうがいいかもしれない。
 
 
ちなみに、本の内容はごくごくオーソドックスな怪異譚である。一番記憶に残っているのが、「死霊が戸を叩く」 というタイトルのついた、北海道の学校で起こったという不思議な話だ。この話はなかなか面白いので、紹介したいと思います。

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コメント

過去のトラウマを確かめたくて「わたしは幽霊を見た」の挿絵を探しているとの書き込みを読み、小生が今回インターネット検索をした目的と全く同じなのに、嘆息を禁じ得ませんでした。70年代に小学生であった人の中には、その人や小生のように、「その絵」の残像を脳裏に焼き付けた過去をもっている人もいるのでしょう。それほどまでにその本はインパクトのある本であったというよりは、その絵こそが印象的だったということでしょう。
その絵の主は、「大高博士」が見た亡霊ということですが、その背景は(その本を所持していない小生は記憶で述べるしかありません)、博士が伊豆かどこかのホテルに宿泊の折り、深夜に亡霊が博士の部屋を訪れ、博士が寝ているベッドの中に「寒い寒い」と言いながらもぐり込んできたというものではなかったでしょうか?その身体の冷たさからそれが人間でないと悟った博士は、そのものに向って「コラッ」と怒声を放った。するとそのものは「立ち去り」、その後すぐに博士はそのもののスケッチをした。それがその絵だったというわけでしょう。「わたしは幽霊を見た」の表紙を捲るといきなりその絵が目に飛び込んできました。そしてその裏頁に、その背景が博士の手記という形で説明されていたと思います。手記には博士の顔写真とともに、博士が宿泊した部屋でのそのものの「足取り」が部屋の見取り図の中に示されていたと思います。
そのものを「亡霊」と断じた博士の根拠は、身体の冷たさと同時に、何よりもそのものの容貌によったと思いますが、直接的なものとしてはその後そのホテルが戦時中に軍関係の病院であったということを知るに至ったことがあったのでしょう。その絵の主は、首の右側に銃創のような丸い傷口が開いていて、血が流れていました。よって軍病院と関連づけ、それが戦争で負傷して死んだ兵隊であるということにつながるのでしょう。
小学生当時の小生の印象は、まずこんなに恐ろしい形相の「人間」が深夜に自分のベッドに入ってきたら、恐らく自分なら恐怖で気が狂ってしまうのではないか、そしていなくなったそのものの記憶をもとに、冷静にもその絵を描いた博士の胆力というか度胸に感心したというものです。
ICTやDNAが象徴する科学技術に囲まれて生きる現代において、いや、何もそう大袈裟に考えなくても常識において、血を流し、そしてそのものに触れることができ(そのものは冷たかったはずです)、それ以前に博士のベッドに入ってくるのに布団をめくるという物理的な行為を行った存在として、霊的な存在ではなく、必ず肉体を持った存在であろうと認識できるわけです。だから殊更それを亡霊の出現と考えずに、何らかの理由で、ある人物が博士の部屋に侵入しおまけにベッドにもぐり込んできたのかも知れないし、その全てがあり得ないのであるなら、博士は悪夢を見て、夢から醒めた後に夢に出てきた「化け物」の絵を描いたと解釈するのが常識的というものでしょう。それを亡霊としたいのは、「わたしは幽霊を見た」という本である以上、これもまた常識の内なのでしょうね。
それにしても、この挿絵を見た人で恐怖に駆られなかった人はいないでしょう。小学生は勿論のこと、半世紀を生きようとするいい歳の大人ですら、この絵を枕元に置いて寝ることができる人がいるとしたら、少なくとも小生は尊敬申し上げます。
この絵の怖さは、骨の浮き出るガリガリに痩せた身体、首の右側にパックリ開いた大きな丸い傷とそこから流れ出る血液、そして何と言ってもその顔そのものでしょう。顔のほぼ三分の一を占める異様に大きな口が開かれ、乱杭歯をむき出しにし、目の輪郭よりも大きな黒目を突出させ、見ているこちら側を窺っているようなのです。幽霊が立ち去った後に即座に描かれた殴り書き風のスケッチに一見見えますが、実は髯や耳や髪の毛、目頭に力が入っている様子さえ、よく見るときっちり描き込まれているのです。亡霊が「立ち去った後」というのも、何だか泥棒が立ち去ったようで、何とも霊的存在の消失というのとは違う感じがします。「亡霊は作り話のうそ」ということを認識した上でも、この絵は見る人に恐怖を抱かせるに充分な何物かをもっていると思われます。しかしながら、果たしてそれは何なのか?ICTやDNAが象徴する科学技術に囲まれて生きる現代において、あるいは小学生から成長した大人として、考察してみることはできそうです。
歯をむき出しにして開いた大きな口に抱く恐怖というものは、精神分析の真似事をするならば、喰われてしまうのではないかという、動物の一員としての人間の原始的な危機意識によっているとも感じられるし、こちらに向けられた突出した大きな目というものは、それこそ自分という人間の本性を見通されてしまうといった、多分に深層心理的な恐怖の作用があるのかも知れません。
人間の抱く恐怖感の本質というものを云々するつもりもありませんが、それにしても小生の同年代の人が共時的に恐怖感を抱いていたこの絵が、超常現象ではなくインターネットにより新たなる都市伝説として復活することになるかも知れないと思うと、これまた嘆息を禁じ得ません。


投稿: kafreud | 2010/05/03 15:53

今日33年ぶりに見て卒倒しました。。。

投稿: けんじ | 2010/05/14 07:58

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