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2005/08/26

BX修理完了

雨の中、神保町の出版社へ。

本日は編集部の人と取材に出るはずだったのだが、この天気で中止になる。打合わせののち、行田まで修理の終った車をとりにゆくことに。
(8月10日の記事をごらん下さい。ちなみにこのブログの過去ログを見ると、車壊れる・直るという記述が何度も何度も出てきます)

左右のストラットとフロントのボンネット交換。いずれも中古品で、先日のフロントガラス交換につづき、工場の部品取り車の世話になった。ついでにスフィアのガスチャージもやってもらいました。

今回のトラブルをmixiで紹介してみたが、BX乗りで同じトラブルに見まわれた人はほとんどいないようだ。運が悪いよまったく。


s-dssm
ガンをとばしあう2台の大型シトロエン。
(左がDS、右がSM)

 

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2005/08/25

再び高野連について

駒大苫小牧の騒動を見ていて、素朴な疑問。

高野連の人たちの多くは、学生野球を指導した経験をもっているのだろう。彼らはひとりも体罰をふるった経験がないんでしょうかね。とてもそうは思えませんが。
どうせだから記者会見のときに彼らに質問してみたらいいのに。彼らの指導を受けた人たちのコメントをあつめたら面白いでしょうね。


体罰の是非については、いずれ述べたいと思います。

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2005/08/23

女の園

今夜は気合いを入れて朝まで原稿を、と思っていたのだが、なにげなくTVをつけたら、何と木下恵介の『女の園』(1954) がはじまるじゃありませんか。京都の封建的な女子大を舞台に、自由を求めて立ちあがる学生たちの姿を描いた名作だ。ああいけません。これは観てしまいますわ。

なんといっても犬神松子、いや高峰三枝子演ずる酷薄な舎監が凄い。心に傷を負い冷酷な女性になったという設定で、クライマックスにその心情を吐露するシーンもあるのだけれど(注1)、寮生の手紙は開封するわ、電話をかける学生を障子の裏で座って監視するわ(障子に映る影が怖い)、学生に同情的な同僚には嫌味を言うわ、お茶を立てながらホッホッホと笑うわ、とにかく強烈なのである。
 
学生たちの描き分けも秀逸。悩み苦しみ、壊れてゆく高峰秀子(高峰三枝子に責められて寮の自室に戻り、突っ伏して泣くシーンが何度も繰り返される。突っ伏しっぷりがどんどんエスカレートしてゆく)、久我美子演ずるブルジョア娘のテンションの高さ、他の学生たちと距離をおき、久我のアジテーションを冷笑的に眺める女学生・山本和子が終盤に見せる素顔。
(しびれます。当時はこういう人が結構いたんでしょうね。ちなみにこの役者さんは女優・毬谷友子の母親だそうで、そういえば親子よく似ています)
同郷の男子学生と恋をする岸恵子も魅力的だが、この3人の前では少々影が薄い。


きわめてメッセージ性の強い作品で、実際の事件にもとづいた内容だという。思えばこの5年前、人々は『青い山脈』の牧歌的な民主主義礼賛に喝采を送っていたんですよね。有名な近江絹糸の大争議(注2) もこの映画が公開された年に起きているし、現実に封建的・非民主的な土壌を崩していくのは大変だったんでしょうな。

『女の園』 は1954年のキネマ旬報・邦画ベスト10で2位。1位が『二十四の瞳』 である。木下恵介の絶頂期ですね。(『七人の侍』 が3位!) 他にも溝口健二の『近松物語』 が5位、成瀬巳喜男が『晩菊』 で7位という、何だかもう奇蹟のような年である。そうそう、『ゴジラ』 の1作目もこの年なのでした。

うわ、もう朝だ。
 
 

注1… 話題のドラマ『女王の教室』 の落しどころも、結局このへんなんでしょうね。

注2… 近江絹糸の争議  
 私信の開封や女子従業員の結婚の禁止、仏教信仰の強制など、あまりに前時代的な会社経営に対して女性従業員が反旗をひるがえした事件。滅茶苦茶に面白いので、図書館で当時の新聞縮刷版や雑誌を一読することをおすすめします。三島由紀夫の小説、『絹と明察』(新潮文庫) はこの事件が題材となっています。


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2005/08/21

選挙戦近し

食卓で雑誌の原稿を書いている。

資料は豊富なのだが、どうも筆が進まない。週末から八重山に行くので、今週中に完成させないとあとで苦労することになる。


小学校の3年だか4年のころ、クラスの新聞委員というのをやっていた。月に1回、壁新聞をつくって教室のうしろに掲げるのである。私は構想ばかり練っていて、いつまでたっても仕事にとりかからなかった。

そんな私を手厳しく弾劾したのがクラスメートのAである。曲がったことが大嫌いで、妥協を憎む男。正義の人。ちなみに親御さんは共産党員だった。

「新聞委員はどうしてしっかり仕事をしないのか。辞めるべきだ」 

帰りの会という名の人民裁判で、彼は毎日延々と私を責めつづけた。「これから気をつけます」 という自己批判を強いられた私は、家に帰ると白紙の摸造紙を前に頭をかかえた。


彼は現在、わが街の市議をやっている。

選挙の前哨戦か、窓の外から演説の声が聞こえてくる。ノートパソコンのモニターを前に頭をかかえる私の耳に、小泉総理を延々と責めつづけるAの声が聞こえてきた。「辞めるべきだ」 と。

人間は基本的に変わらんのね。30年たっても。


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2005/08/18

商売道具 その2

プラチナ製の古いサインペンを仕事で愛用している。以前何気なく取り上げたところ、ずいぶん多くの方々にアクセスをいただいて驚いた。文房具の好きな方々に人気のあるデッドストックらしいですね。今日はもう少しくわしくご紹介しましょう。
前回も書きましたが、これはプラチナのソフトペンという商品です。採点ペンと通称されていることでも分かるように、教育現場で広く使われています。モデルチェンジを繰り返しながら現在も販売されている息の長い文房具です。

 
pen1
 
カラフルな現行品と異なり、万年筆風の実にオーソドックスなデザインですね。万年筆が筆記用具の王様だったころを思い出します。
キャップがメッキ仕上げで軸が黒、という筆記用具が昔は結構ありました。ちょっと高価いボールペンとかね。
(クリックすると拡大します)
 
 
pen2
 
キャップを開けたところ。透明な部分にフェルト製のペン軸が入っていて、カートリッジのインクを毛細管現象でペン先に送ります。内側にラジエーターのような刻み目があるのですが、出すぎたインクはここにひっかかって溜まるようです。使っているうちにそのインクもなくなっていきます。
 
 
pen3
 
これが現在使っている赤インクです。なくなると学校で貰ってきます。よく見るとこれ、万年筆用と書いてありますね。どうやらカートリッジを共用するペンがあるようです。そういえばえらく極細の赤ペンで採点している先生がいるけれど、あれが万年筆型のホルダーなのかな。
このカートリッジは結構消費が早く、たいてい2クラスほど採点したところでインクがなくなります。

ちなみに昔の箱とカートリッジがこちら。このインク、まだ使えるのだろうか。
 
pen4
 
 
小学生のころ、授業中に漢字のドリルや算数の計算問題を解いて担任の先生のところにもっていくと、先生はこのペンでマルをつけてくれました。採点しているところをいつも緊張して見つめていたので、このペン先は実にはっきりと記憶に残っています。
(別に勉強熱心なわけではなく、自分の後ろに並んで待っている友達に、バツをつけられた答案を見られるのが嫌で緊張していたのでした。気の小さい子供だったもので)

30年後に同じペンを使って仕事をするとは思わなかったなあ。


s-pen5



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2005/08/15

織田裕二って人は

世界陸上のハイテンションな司会ぶりを見ていて、改めて考えた。

この人はなんだか気の毒である。

悪くない俳優だと思うのだ。日本映画にもう少し活気がある時代であれば、もっと多くのベテラン監督にしごかれ鍛えられ、役者としての幅を広げることができたろうに。
ときおりTVで映画や演技について語っているところを見るが、何か痛々しさを感じてしまう。演劇系の人ではないようだし、先輩やライバルに揉まれていない弱さとでもいうのだろうか。

大仰に叫び走る、お約束のキャラクターはもう飽きた。往年の大スターの胸を借りるような作品に出てくれないかな。
(個人的には、徹底した悪役が見たいのだが)

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2005/08/14

思わぬ発見

録画しておいた『男はつらいよ 望郷篇』(1970)を鑑賞。前半の緊張感がすばらしい。傑作である。

この映画で、寅次郎は舎弟の登とともに北海道を訪ねるのだが、札幌のシーンであるものを発見して驚いてしまった。大通りを俯瞰するカットの次に路面電車が映されるシーンがあり、そのとき画面左手に古い建物が見える。
この建物は南一条巡査派出所といい、「赤レンガの派出所」 として札幌市民に親しまれていた名物建築なのだ。明治44年(1911)の建築である。創成川のほとりで60年間現役の交番として使用され、この映画の公開翌年に建て替えられた。

でもこの建物、今でも見ることができるのですね。

s-sap


この写真は、5年前に出版した拙著『たてもの野外博物館探見』(JTB) の取材で撮影したもの。札幌郊外に設けられた博物館・北海道開拓の村に、移築されているのです。寅さん映画で現役の頃の姿がみられるとは思わなかった。
ビデオやDVDをお持ちの方、興味があればこの写真と見比べてみてください。寅が警官に道を尋ねています。映画では大きい建物の一部にも見えますが、なかなか可愛らしい建築なのです。

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2005/08/12

チェッカーズの夏

(HPの日記に書いた文章の加筆・再掲です)
 


学生の頃、まだ青空の見える西武ライオンズのスタジアムでバイトをしていた。入場券を切ったり、スタンドでファールボールを拾ったりする案内整理員のアルバイトである。高校・浪人・大学時代と働きつづけ、卒業後もしばらく手伝っていた。10年以上所沢に通いつづけていたことになり、われながら呆れるが、当時の友人たちとは今でもつきあいがあって楽しい。夏に八重山で合流したS君もバイト仲間だ。
 
s-front

 
このスタジアムは毎年夏に数日間コンサートでも使われていたが、その仕事もおこなっていた。コンサートで忙しいのは開演前だけで、演奏がはじまると特にやることはない。交代で休憩を取りながら、通路で観客を見ながら音楽を聴いていればいいのである。酔っ払いやトラブルの多い野球の仕事と比べたら楽なものだった。
サザンやらハウンドドッグやらレベッカやら(懐かしいな)、さまざまなミュージシャンがスタジアムにやってきた。外国のバンドを呼んだこともあって、これはロックのジョイントコンサートだったのだが、ボンジョビが前座だった。
(このときは6時間におよぶフェスティバルで、さすがにくたびれた記憶がある。ホワイトスネイクとマイケル・シェンカーが日替わりでトリをつとめていた。彼らは西武線の特急列車で所沢までやってきて、駅の立ち食い蕎麦屋でコーヒーを要求し、店員を困らせた)

一番印象に残っているのはチェッカーズで、客席のほぼすべてが女性客というのは初めてだった。終演後もメンバーを見たい数千人のファンが球場内外に残り、大混乱になったのだ。これでは係員も帰ることができない。メンバーがいると錯覚して職員の詰所に殺到する女の子たちもいて、我々は困り果てた。

 くたくたになって仕事を終え、駅から家に電話をかけると、受話器から興奮した母の声が飛びこんできた。「大変よ」「747が」「坂本九が」と叫んでいる。
 
1985年8月12日の出来事である。私は19才だった。
 
 
 s-tower


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2005/08/11

コーヒーショップにて

雑誌の打合わせで神保町へ。看板建築の古本屋が激減していることに驚く。明大下で頑張っていたフタバヤ洋品店もついになくなってしまった。

早く着いたので、地下鉄の駅構内にある小さなコーヒーショップに入る。カウンターの前にすすみ、コーヒーを注文しようと財布を出した。
レジの機械をいじっていた店員の女の子はちらりと私を見るが、いらっしゃいませの一言もなく、再び視線を機械に戻して横にいる男の店員と会話を始める。10秒、20秒、私は財布を手に待っていた。カウンター越し50センチのところに客が立っているのに。
面白いので、私は時計を確認しつつ彼女の顔をじっと眺めていた。そして1分ほどたったところで声をかけた。

「僕はいつまで待っていればいいのかな」 

彼女は手をとめ、私の顔を見て黙りこんだ。みるみるうちに顔が不機嫌になってゆく。

「客商売なんだからさ、まずいらっしゃいませぐらい言えよ」

そう続けると、彼女の表情はさらに険しくなった。こっちが怒られているようだ。私は不機嫌になるとえらく人相が悪くなるので、笑みを浮かべながら話しかけたのに。
(それが不気味だったのだろうか)

すぐに店を出たが、すぐ横にいるチーフらしい若い男はぼんやりと立っているだけで、最後まで一言もない。君たち接客業やる資格なし。


帰りに「さぼうる」 でビールを呑みながら原稿案を練る。

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2005/08/10

BXはじける

毎度シトロエンの話でございます。今回はしびれました。

昨日の午後、例によって行田の自動車工場に行ったんですね。エアコンの調子が悪くて預けていたんです。サーモを交換してもらい、帰路は久しぶりに涼しい車を堪能しながらのドライブとなりました。
関越道を走ってきたのですが、所沢インターの出口がずいぶん混んでいまして、2キロほど手前からノロノロ運転。今にして思えば、このときにもう少々乗り心地が悪かったんですね。やはり前兆だったのかな。

インターを下りてころにはもう陽が落ちていました。県道を走っているうち、曲がるべき交差点を過ぎてしまったことに気づき、近くに運送会社の広い駐車場があったので、そこでUターンさせてもらうことにしました。

車を乗り入れ、ギアをバックに入れて大きくハンドルを切ったときでした。「ボン!」 という音とともに、運転席側のボンネットが30センチぐらい盛り上がったんです。
車を降りて見てみると、どこかに衝突したようにボンネットが歪んでいます。もちろん開けることもできません。右前輪を支えているサスペンションのストラットが外れ、ボンネットを裏から突き上げたのでした。

馬鹿な話ですが、最初に頭に浮かんだのがポップコーンなんですよね。火にかけるとトウモロコシがポンポンはじけて、器のフィルムを押し上げるお菓子が売ってますが、まさにあのイメージ。

ローダーを頼み、到着を待つこと40分。BXは再び行田へ向かいました。

帰宅して調べてみたら、ストラットのアッパーマウントの劣化によるものらしいです。工場の社長の話では、BXではあまり聞いたことがないトラブルらしい。参ったなあ。

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2005/08/09

衆議院解散

あと1月遅ければ、解散から総選挙の流れを中学校の社会科でリアルタイムに教えることができた。少し残念である。

郵政民営化の是非は別として、小泉という人は実に興味深い人物である。イラク特措法のときに非戦闘地域の概念について聞かれ、開き直ったときの言動は忘れることができない。

人間として重要な何かが、あれほど欠落している政治家は珍しいのではないか。私が戦死者の遺族なら、あの人には靖国参拝してほしくないと思う。


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2005/08/07

押入れの天袋

わが家の勉強部屋の押し入れには一間半の天袋がついているのですが、ここがずいぶん前から飽和状態となっておりまして、不用意に引き戸をあけるとさまざまなものが落ちてきます。

久しぶりにあけてみました。本日の落下物は次の通りです。

Dsc04930
 
ウォーホル展のパンフレット(いつのだろう)
ビデオの接続コード(プロジェクターにつなぐコードなので妙に長くて邪魔)
引き伸ばし機のフィルター(本体も奥に入ってます。重くて出せません)
クリスマスツリーの飾り(当然1年に1度しか活躍しない)
超人間X号(以前紹介しました)
グローブ(叔父がくれたもの。ぎっちょ用)
レコードプレーヤーの針(よく見たら中身が入ってない)
三脚の雲台(これが一番危険だった)
ケロリンの桶(Mサイズ)
カモノハシ

おととしまで、この天袋には折りたたみカヌーと用具一式が収納されてまして、それでもう1間分くらいスペースをとっていました。売っちゃったから本来ガラガラな筈なのに、おかしいなあ。

 
片付けていたら、こんなものも出てきました。
Dsc04933
 

アームトロンといいます。ご存知でしょうか。
こういうものを衝動買いするから、収納スペースがなくなってしまうわけですが。

次回はこのおもちゃを紹介したいと思います。


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2005/08/06

寅さん第1作

NHK-BSで、『男はつらいよ』 第1作を鑑賞。

シリーズ作品としてのフォーマットがまだ完成しておらず、寅のキャラクターが後年と大きく異なる点がまず面白い。
山田洋次はこの作品に先だってハナ肇主演の『馬鹿シリーズ』 も撮っているが、小林信彦はこれらの作品に共通して、阪妻の『無法松の一生』 の影響があることを指摘している。柴又に帰った寅次郎が祭礼に飛び込むオープニングは、明らかに『無法松』 のラストシーンへのオマージュであろう。

先日も書いたが、このシリーズの初期作品は仁侠映画の香りが残っていて好きだ。火曜日に森崎東が撮った3作目を放映するので楽しみである。山田作品とずいぶんイメージが違うのです。
(シリーズ最高傑作は5作目の『男はつらいよ 望郷篇』 だと思いますが)

s-DSC04929


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2005/08/05

エアバス炎上

旅客機が着陸失敗し炎上、309人全員脱出 トロント

http://cnn.co.jp/world/CNN200508030001.html


機体停止から約2分間で乗客全員が機外に出たというから凄い。

飛行機の座席に座るたびに周囲を見回してしまう。何かあったとき、席を埋めた乗客が首尾よく脱出できるだろうかと考えるのだ。ボーイング747などは500人以上の乗客が乗っているが、あの病院の待合室のような客席の間を走る2本の細い通路を、乗客が冷静に移動できるとはとても思えない。


これは近々就航するエアバス社の旅客機です。

bus

総2階建て、最大800人乗りだそうで、ボーイング747を上回る世界最大の旅客機だという。747には操縦席の後ろだけ2階部分があるが、それを後ろまで延長したような構造になっている。

ボーイング社もこのような大型機を検討したことがあるらしいが、トラブルの際の脱出時間が問題となり、実現に至らなかったという。何しろ今までの2倍近い乗客が乗るのである。
エアバス社はその辺は何らかの解決策を見出したのだろう。でも、この2階のドアを開けてシューターで滑り降りるのは恐いだろうな。

打倒ボーイングの切り札となる機体らしいが、大丈夫なんですかね。

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高野連ってのは

明徳義塾、甲子園出場辞退。下級生への暴力事件と部員の喫煙問題だという。この事件、例によって高野連への密告で発覚したんですね。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050804-00000023-san-soci
 
脇村春夫・日本高野連会長の話。
 「注目されている高校だけに、たいへん残念な思い。こういう事態で出られなくなった選手は気の毒だ。ただ、学校側として辞退は当然ではないか」(以下略)
 田名部和裕・日本高野連参事の話。
 「地方大会前に問題をきちんと報告していれば、当該選手を除いて大会出場も可能だった。しかし、こういうことになった以上、今回の措置は仕方ない。非常に残念なことだ」

 

何を言っているんだろうかと思う。

この会長、さらに「今回の事件が他の参加校に与える影響を憂慮する」 なんてことを言っている。たしかに暴力行為は許しがたいし、喫煙もまあ良くはないだろう。しかし、この手の問題はさほど珍しいことではない。不祥事発覚・即出場辞退という今回の出来事から各校が学んだことは、「うちの学校で事件が起きたらどうやって密告を阻止するか」 ということだけだろう。生徒だって、「いかにバレないようにするか」 ということを今まで以上に考えるだけだろうよ。それが教育上よろしいとはとても思えない。


われらの野球は日本の学生野球として学生たることの自覚を基礎とし、学生たることを忘れてはわれらの野球は成り立ち得ない。勤勉と規律とはつねにわれらと共にあり、怠惰と放縦とに対しては不断に警戒されなければならない。元来野球はスポーツとしてそれ自身意昧と価値とを持つであろう。しかし学生野球としてはそれに止まらず試合を通じてフェアの精神を体得する事、幸運にも驕らず非運にも屈せぬ明朗強靭な情意を涵養する事、いかなる艱難をも凌ぎうる強健な身体を鍛練する事、これこそ実にわれらの野球を導く理念でなければならない。(日本学生野球憲章より)


この憲章はたしか昭和20年代の後半に制定されたものである。必ずしも古いことが悪いわけではないが、この理念だけで高校生の行動を断罪できる人たちが信じられない。そもそもこの文章には子供たちへの愛情がかけらも感じられないのだ。

不祥事を起こした上で事態を隠蔽し、発覚とともにすぐに代表を「辞退」 するというパターンを断ち切ってくれる高校はないんですかね。出場できなくなるということで学校側が泡を食って、生徒にしっかりとした指導を怠るというのがいちばん問題なのだ。
高野連のいう「学生であることを忘れた」(何様の言いぐさだろう、まったく)生徒に対して学校側がルールに沿ったペナルティをあたえ、その経過を逐一報告して、

「教育者としてこのように問題を収拾しましたので、部員一同充分反省した上で、わが校は大会に参加します」

といってくれれば小気味いいし、高野連の対応も楽しみなのだが。

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2005/08/03

対中国戦

時間がないのにボールをこねくりまわしているのを見ていたら、昔の日本代表のサッカーを思い出した。
(サッカー、あまり知らないのでえらそうなことは言えないのだが)

どうも面白くない。ウィスキーを呑みながら『マッドマックス2』 のDVDを観て気分を晴らすことにする。

当然、ヒューマンガス様を鑑賞するのである。

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2005/08/01

巴里の廃約

先日紹介した遣欧使節団の話が、司馬遼太郎の随筆でも紹介されていたことを思い出しました。『この国のかたち 3』(文春文庫) の、「巴里の廃約」 です。現在一番手に入りやすい書籍だと思われるので、興味のある方はどうぞ。

ライター、編集者の呑み会に出席。2次会でゴールデン街になだれこむも、終電が気になり20分ほどで先に失礼する。もはや根性無しになり果てました。

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