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2005/04/30

携帯電話を買い替える

えらく小さい携帯電話を買った。
買ったといっても型遅れの処分品なので、支払いは来月引き落とされる手数料だけである。
いままで使っていたソニーの製品も0円マシンであった。最近の端末はどれもこれも大きく、余分な機能が満載なので、お金を出して買う気にならんのです。
私はふだん、妻と海軍の暗号電文のような短いメールをやり取りするくらいで、携帯はほとんど使っていないのだ。カメラもTVもiアプリもいらんよ。
(大体、iアプリとはどういうものかいまだに把握していない)

過去手にした携帯電話で気に入ったのは、エリクソンの端末だけだった。ネットで調べていたら、今回のミニ携帯を購入するまでの遍歴が、私とまったく同じ人が多いのに驚いた。

ER209 (エリクソン)

SO212 (折りたたみでちょっと大きいけど、他にいいのがないからしばらくこれで我慢)

INFOBARは回避

SO213 (premini)

という流れですな。INFOBARは回避ってのがポイントです。

so213


知人のH夫妻と、沖縄料理屋で夕食。ご夫婦ともに編集者で八重山仲間である。
例によって泡盛三昧となり、へろへろになって帰宅する。

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2005/04/29

紫禁城の黄昏

尼崎事故の影響だろうが、ラッシュ時のJRのダイヤがここ数日乱れているようだ。安全運行を心がけると定時運転できないダイヤというのは、やはりどこか無理があるのだろう。往年の順法闘争を思い出す。

GW中に読む本を買いに書店へ出かけた。
完訳版を謳う、『紫禁城の黄昏』(祥伝社)が並んでいて、買おうか悩む。清朝最後の皇帝・溥儀の家庭教師だったイギリス人、R・F・ジョンストンの回想録である。以前から出回っている岩波文庫版は、翻訳者が内容をかなり恣意的に取捨した抄訳・悪訳として批判が高く、完訳版を読みたいと思っていたのである。

「『紫禁城の黄昏』が、極東軍事裁判に証拠書類として採用されていたら、あのような裁判は成立しなかったであろう。こういうだけで、本書の価値を知るには十分である。もちろん、何が何でも日本を悪者に仕立て上げたかった東京裁判所は、本書を証拠資料として採用せず、却下した」(監修者のことば)

やっぱりそうきましたか。
でもねえ、ジョンストンという人もかなりバイアスのかかった人物だからなあ。この書をもって鬼の首をとったように騒ぐのも、あまりエレガントでない気もするんですよね。中国共産党の建国神話やあざとい歴史操作には辟易しますけど。

うーん、渡部 昇一が監修なのか。どうしようかな。変法自強運動のくだりは激しく読みたいのだが。

4396650329

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2005/04/25

脱線事故

通勤途中の西武新宿線の踏切がめずらしく大渋滞で、10分、15分と遮断機が開かない。イライラしながらカーラジオをつけたら、臨時ニュースで脱線事故を報じていたので、最初は西武線で事故があったのかと思った。

日比谷線事故のときもそうだったけれど、電車というものがあれほど完全に潰れてしまうということにショックをうけた。前から感じていたのだが、最近あちこちで走っている銀色の電車は、アルミ製かステンレス製か知らないが、昔の電車に比べてどうにも華奢に見えてしかたがない。

私はふだんJRの中央線を利用している。あのオレンジ色の電車、あれはもうかなり古いのだけれど、今の電車とつくりがまったく異なっているように思える。鋼鉄製なのだろろうか、厚ぼったくて頑丈そうな感じなのだ。昔の列車事故は、脱線したり衝突して横転していても、車両そのものは四角いままの場合が多かった気がする。

飛行機じゃあるまいし、電車をそれほど軽量化しなければいけないものなのだろうか。
飛行機の軽量化というのは、その基本的構造や歴史をみても必然であることがわかるけれど、通勤電車の軽量化なんて、結局低コスト化に代表される営業効率追求のものだろうからなあ。事故にあったらもうあきらめろということか。

お亡くなりになった方々のご冥福をお祈りします。

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2005/04/22

仕事帰りのスーパーで

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夕食にチャーハンでもつくろうと思ったが、タマネギを切らしているのに気がついて近所のスーパーへ。わりと早い時間だったのに、どのレジもカゴを山盛りにした奥様方で長蛇の列になっていた。68円の新タマネギをひとつにぎりしめて、最後尾につくのは非常にむなしいものがある。

私は「並ぶ」 ことが大の苦手でして、たとえそれが趣味やレジャーであっても、列をつくって待ちつづけるのが辛くて耐えられないのです。まあスーパーぐらいは我慢できるけれど、レストランで並んだり、アミューズメント施設で並んでいる人たちを見ると、すごいなあ、よく我慢できるなあ、と感心する。美味しいといわれる店に足を運んでも、そこに人が並んでいれば、不味い店でも空いてるほうがいいや、と思ってしまうのである。
いつも考えるのだが、戦後の日本の最もすばらしい点は、ものを手に入れるために並ばなくてもすむ世の中になったことではないだろうか。私は万博には行けない。
 
さて、先日NHKの『プロジェクトX』 の再放送を見ていたら、孔版印刷機のネタをやっていた。印刷機メーカーの大手、理想科学工業の話である。これは学校で毎日使っている機械なのでなかなか面白かった。
印刷機の話は以前HPに書いたことがあるので、よろしければご覧下さい。どんな機械を記憶しているかで、世代が分かれるんですね。

http://homepage3.nifty.com/speedbird911/test.htm

学校の備品の引出しには、昔懐かしい鉄筆が入っていたりする。ガリ版の枠やローラーなども、まだ残っているのかもしれない。

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2005/04/20

失われた日本の農村

『グラディエーター』 のDVDを安売りしていたので、買ってきて久しぶりに鑑賞。よくできた見世物映画である。字幕翻訳は悪名高い戸田奈津子女史だが、登場人物にいちいち「マルクス・アウレリウス皇帝」 といわせるのは気持ちが悪いので勘弁してほしい。トラヤヌス帝、ディオクレティアヌス帝、マルクス=アウレリウス帝だよ。皇はいらんのだ、皇は。

(面白いことを発見。アウレリウス皇帝でネットを検索すると、この映画についての記述ばかり拾う。アウレリウス帝で検索すると歴史系のサイトやブログが出てくる)


木村哲人『戦争中は毎日が“極楽”だった』(第三書館) を読了。
著者は1933年生まれ。長く映画・TVの録音技師をしていた人で、茨城の地主の子として育った少年時代を回想している。昭和一ケタ生まれの人々の戦争記録は疎開テーマが多く、たいがい都会者の恨み節になってしまうので、疎開児童を受け入れる側の記録も重要なのです。
上陸するアメリカ軍を竹槍で迎え撃てという指示に、村人が呆れかえって軍を見限ったというエピソード(ムシロ旗・竹槍はシンボリックなもので、農民は江戸時代でも剣や武具をもっていた)、農地改革以前に、戦争中の供出などで農村の地主・小作制度が崩壊していたという話(小作より小地主のほうが生活が苦しくなったという)、いまはなき祭礼や風俗、サンカの兄妹の話など、興味深い思い出がつぎつぎと紹介されてゆく。挑発的なタイトルだが、疎開者にも心配りがあるところに好感がもてた。ただし、この本を読む限り、著者の生まれ育った茨城の農村はかなり豊かな土地ではあったようだ。
著者も触れているが、東京の町っ子・小林信彦の回想『一少年の見た〈聖戦〉』(ちくま文庫)あたりと併読すると面白いだろう。
しかし昔の日本って、都市部と農村部ではまるっきり別の国ですな。


中国のネット事情。なーるほどね。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050420-00000002-wir-sci
 
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2005/04/17

情報統制が可能だった時代 その3

さて、海外のラジオ放送を熱心に聴いていた小学生のころ、どうしてもうまく受信することのできなかった局があった。アルゼンチンの放送局だったが、ラジオのダイヤルをこの局に合わせると、スピーカーから強烈な雑音が流れ出るのだ。
この局の周波数に対して、強力なジャミング(妨害電波) がかけられていたのである。

ジャミングは、社会主義の国々が情報遮断のために用いる常套手段であった。自国民が自由主義陣営の情報にふれないよう、同じ周波数で「雑音の放送」 を流すのだ。
アルゼンチン放送と同じ周波数を、アジアでは台湾の放送局が使用しており、この局は中国大陸に向かって放送を行っていたのであった。ジャミングの発生源はお分かりであろう。もっとも、当時世界最大のジャミング大国はソ連で、アメリカやイギリスがソ連に向けて流していた短波放送に、ことごとく妨害を行っていたらしい。そのころ読んだ本によれば、ソビエトが妨害電波の送信にかけていた1年間の費用は、BBCの年間予算に匹敵していたという。

まあ単純といえば単純な方法であった。他国からの情報をそこまでしてシャットアウトしなければ成り立たない社会というのが子供心にも納得いかず、先に書いたように、単純に社会主義を礼賛する人々が信用できなくなった。

中国でのインターネット人口は一億人に達するという。どうやら多分に管理されているようではあるが、新種のクチコミであるこのきわめて危険な道具への規制を、当局がこれからどのように強化していくのか注目している。

sanshin


最後に、このところの中国の騒動をみていてもっとも気になったこと。
 
一党独裁のもとで資本主義経済を取り入れるという大博打はまもなく破綻すると思うけれど、政府が国民をコントロールできなくなったとき、混沌のなかで国民に冷静をよびかける勢力がこの国にあるのかということだ。ロシアや東欧の民主化においては、それは弾圧を生き延びた言論人であったり、宗教勢力であったりしたわけだが、近年の報道をみていても、そのあたりがどうも見えない。天安門の動乱を知る世代は、今回のデモで気勢をあげる一人っ子たちをどのように眺めているのだろうか。

天安門事件のニュースを見たときの感動は今でも忘れない。広場に押し寄せる群衆に、戦車を押しとどめる若者に、そして弾圧を躊躇し失脚した趙紫陽に私は泣いた。
もっとも今から考えれば、あのとき中国に大きな変革が起きていたとしても、社会主義的安定を求める地方の労働者や農民と、民主化一辺倒の都会の学生たちとの絶望的な溝を埋めるために、新政権はやはり反日という切り札を使っただろうけどね。

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2005/04/13

情報統制が可能だった時代 その2

社会主義諸国の放送で最も記憶に残っているのが、北京放送と北朝鮮の朝鮮中央放送である。両局ともニュースのあとに政治解説の番組があって、毎回変わらぬトーンで社会主義の優位性を説いていた。

中国は当時文化大革命の末期であり、北京放送のアナウンサーの話には毛主席の賛美とともに、「プロレタリア文化大革命」 という言葉が頻出していた。政治理論は正直いって小学生には判りかね、しかたがないので、この言葉が何回出てくるか数えていた。5分ほどの番組で20回近く繰り返されたのを今でも覚えている。紹介される国内のトピックも、「革命的精神で生産量を5倍に増やした労働英雄」 などといった話が中心であった。毛沢東の「工業は大慶に学べ」 といった有名なスローガンが、まだ日本の教科書にも載っていた頃の話だ。

北朝鮮のメディアについては、近年取り上げられることが多いので、多くの方がご存知だと思う。ただ当時の日本語放送のアナウンサーは、TVで紹介されているような激越な調子ではなかった。何というか、もうひたすら陰々滅々としているのである。実にねっとりとした声で、日々日帝と韓国軍事政権の打倒を繰り返していた。
ちなみに当時の北朝鮮と韓国は、放送中に相手の国名を決して使うことはなかった。おたがい自国が正当であるという建前だったから、北朝鮮側は韓国を「朴正煕軍事傀儡一味」 (一味ですよ、一味)などと呼び、韓国は韓国で、北朝鮮を「北韓共産集団」 というふうに表現していた。
北朝鮮側が、相手の発言を引用するとき、「○○は×××とほざき」 などと平気で言っていたのが忘れられない。アナウンサーの日本語が上手いだけに、言葉が実にきつく響くのだ。このへんは韓国のほうがかなり上品ではあった。 

全然情報統制の話に入りません。もうすこし続きます。

lanp

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2005/04/12

情報統制が可能だった時代 その1

中国での一連の騒動を見ていて、いろいろ考えた。

70年代の後半だったか、海外のラジオ放送を聴くのが流行したことがある。
私も小学生の頃、お年玉を貯めて短波ラジオを買った。もともとは大人の趣味だったのだろうが、電気メーカーが争って安価で性能のいいラジオを発売し、流行は小中学生にもひろがっていったのである。今思えば、アマチュア無線に憧れていた少年たちが、免許がいらず無線機ほど高価ではないラジオに流れていたのだと思う。メーカーもそれを知ってか、発売される製品はどれも無線機のようなデザインだった。

放送局の中には、日本語のプログラムを組んでいるところがあった。今とは異なり、リアルタイムに海外の情報を入手するためには、何がしかの努力が必要だった時代である。まして子供にとって外国はあまりにも遠く、スピーカーから聞こえてくる世界各国のニュースやエピソードは実に新鮮であった。私はラジオ・オーストラリアの日本語放送でワライカワセミとエアーズロックを知り、即位したヨハネ・パウロ1世の声をバチカン放送で聞き、BBCが毎年4月1日に1つだけ嘘のニュースを読み上げることを知った。

日本語放送を聴く一方で、雑音と混信の中から聞こえてくる奔流のようなスペイン語やアラビア語、そして決まった時間に流されるコーランの詠唱にも興味をもつようになった。もちろん意味はわからないが、外国語を聞くという非日常の体験に、不思議な魅力を感じたのである。今でもコーランを耳にすると、銅線を巻いた釣竿のアンテナを窓から伸ばし、薄暗い部屋の中で(蛍光灯をつけると電波にノイズが入るのだ) ラジオにかじりついていた頃を思い出す。

もうひとつ忘れられないのが、社会主義諸国の日本語放送である。自国を賛美し、ライバル国を罵倒するアナウンサーの声には、違和感というより恐怖を感じたものだ。日本ではまだ社会主義への幻想が生きており、ソ連や中国の政治体制へシンパシーを感じる人々も多かったが、そのような大人に対して、少しづつ疑問を持ち始めるきっかけとなっていった。

続きは次回。

yamashita


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2005/04/09

パパのお葬式

ローマ法王の葬儀を見ていて、17年前の大喪の礼を思い出した。そういえばあの日は、法律をつくって休日にしたんだったな。旧東西両陣営の指導者をはじめ、世界中のあらゆる国のリーダーや閣僚が集まった葬儀は壮観であった。(カストロまで来ていた。背広姿で黙っていたのが妙に印象に残っている) 

頭を垂れる彼らの姿をTVを見ながら、おやおやついに八紘一宇なるか、などとぼんやり考えたものだ。

 
 
 

先日、中学の卒業生にあげた読書案内を紹介しましたが、もう少し続きがありました。こんどは映画編です。よろしければこちらもご覧下さい。

http://homepage3.nifty.com/speedbird911/home.htm

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2005/04/07

日帰り取材

早起きをして、碓氷峠まで行ってきた。
群馬・長野の県境である。家を出たのがちょうど5時で、30分後には関越に乗り、7時前にはもう横川についてしまった。意外と近いものですね。
釜めしで有名な、おぎのやのドライブインで朝食をとり(トーストモーニングなんてものがあって助かった。朝から釜めしは食えない)、取材をお願いしていた施設で写真を撮ったあと、旧中山道をのんびりと撮影しながら帰ってきた。バイパスから外れた旧道沿いには、懐かしい風景がいくらでも残っているものだ。

カーオーディオで音楽を聴きながらのドライブだったが、曲に妙な音が混じっているのに気がついた。おかしいなあと思ってスイッチを切ったら、修理したはずの車の異音がまた復活していたのであった。

ま、よくあることなんですけどね。

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峠に残る明治時代の煉瓦橋。現在は遊歩道になっている。


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2005/04/05

またまた不調のBX

学校へ新学期の打合わせにいき、そのまま関越に乗って行田の修理工場へ。

しばらく前から、ハンドルを左に切るとヒーヒーと不吉な音がするようになり、気になっていたのである。ブレーキ鳴きは相変わらずうるさいし、メーターケーブルはブィンブィンいってるし、マフラーはカラカラと(交換すりゃいいんだが)、ここへきてずいぶん賑やかになってきたわが愛車である。
DSC04395北関東はシトロエン乗りが多く、修理工場やショップも豊富である。私がお願いしている工場も、その筋では有名な店。ついてみるとBXがリフトに2台乗っていて、その横に2CVが。修理が終わったエグザンティアが2台とZX、さらにバラバラになった11CVまであった。こりゃシトロエン乗りの天国だか地獄だな。

代車というのがあまり好きではないので、車を預けるといつも電車で帰る。なにしろ遠いので、ちょっとした旅行気分である。近くにある古本屋に寄って帰りの車中で読む本を買い、新宿湘南ラインのグリーン車で缶ビールを開けるのが楽しみになっているのだ。今日は熊谷に出て、名物のだるま弁当を買うつもりであった。

どうせガラガラだろうし、前の座席をひっくりかえしてゆっくり足を伸ばそう。車窓を楽しみながらの駅弁とビール。食べ終わったら本を読んでと、点検をしてもらっている間、ずっと考えていた。そうそう、だるま弁当のうつわを変えた、キティちゃん弁当というのがあったな。恥ずかしいけどあれを買って、うつわを姪にあげたら喜ぶかな、などど妄想はふくらむばかりである。

異音の原因はドライブシャフトブーツの留め具が外れ、車軸に干渉していたことが原因と判明。交換したら直ってしまった。おお、乗って帰れるのか。

修理代も安くすんでありがたかったけれど、心が完全にビール&駅弁モードになっていたので、少々気落ちしてしまいました。

まあ、次に壊れたときのお楽しみということで。
(考え方がどこか間違っている気もするが)

DSC04396
美しいマスコットのついたシトロエン11CV。50年前の車です。


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2005/04/04

千鳥ヶ淵の桜が

咲き始めました。

今はなきフェアモントホテルの名物広告を引き継いで、千代田区が新聞広告を出しているのをご存知だろうか。本日の朝刊に掲載されていたが、どうも今年は開花が遅いようだ。大学の卒業式のとき、武道館のまわりは桜吹雪だった覚えがあるのだが。

近所にある保育園の庭先で、妻がつぼみのたくさんついた桜の小枝を拾ってきた。どうやら子供たちが手折ったものらしい。ガラスの器に入れてテーブルに飾っていたが、ストーブをつけていたためか、ひとつ、またひとつと花が開きはじめた。

安ワインとつまみを買ってきて、今年はじめての花見を楽しんでいる。

DSC04394


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2005/04/03

海野十三の怪作

久しぶりにHPを更新しました。PHOTO&ESSAY 「卒業生への読書案内」 です。
よろしければご覧ください。

http://homepage3.nifty.com/speedbird911/home.htm


X1さて、前回予告したポプラ社の本ですが、これなんですね。最近、唐沢俊一がこの作品について雑誌のコラムで詳しく解説してしまったそうで、正直少々へこんでおるのですが、ご紹介したいと思います。この本は小学生の頃、従兄から譲ってもらったもの。

少年探偵団やホームズ・ルパンのシリーズを発刊する前、ポプラ社は「名探偵シリーズ」 と銘打ち、乱歩や横溝正史、そしてこの海野十三などの長編を、15冊にまとめたシリーズを出していた。この『超人間X号』 は、マッドサイエンティスト物のSFホラーであり、そこに少年探偵がからむという欲張った構成のお話。表紙のじいさんが人造生物・超人間X号を創造する谷博士。本篇の主人公だ。
博士が創造した生命体は、「電臓」 とよばれる臓器を中心とする人工細胞で、博士はこれに雷の高電圧を加えて命を与えようとする。(戦前のフランケンシュタイン映画みたいですな) そして雷撃で大破した研究所から、覚醒したX号は脱出し、さまざまな悪事を働くのである。


さて、このX号ですが、何と他人の頭を切り開いて自分の脳と交換し、次々とボディスナッチを繰り返すのですね。追ってきた警官の脳を少女の頭に移植してしまうシーンもあって、この過程がメチャクチャで実に面白いのだが、よくよく考えれば子供向きの小説にしてはかなりグロテスクであった。最初に手に入れる体は死刑囚のもので、死刑執行のシーンが丁寧に描写されていたりするのだ。
最後に博士は手助けする少年たちとともに宇宙ロケットに乗り、サハラ砂漠の上空で、原子爆弾によってX号と雌雄を決する。なんとまあ、実にてんこ盛りの内容である。

これは昭和26年の作品だそうだ。矛盾は多々あれど、子供の頃は夢中で読んだ。ただ、よく分からなかったのが、X号の誕生のシーンであった。壊れた研究所に散らばっている金属を細工し、その中に入ってとりあえずロボットの形になったという設定なのだが、内臓状態のX号がどうやって動けたのかということである。

最後にロボットに化けたX号の姿を紹介しましょう。この本は現在ネット上で読むことができるが、挿絵がないと魅力半減なのです。画家は山内秀一。

X2
研究所を脱出するX号の勇姿。公園の護美箱ではない。

うーん、頭のアンテナはいらんのではないかと思う。しかしこの手で脳移植の手術をするのは苦労したろうな。
 


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