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2005/04/12

情報統制が可能だった時代 その1

中国での一連の騒動を見ていて、いろいろ考えた。

70年代の後半だったか、海外のラジオ放送を聴くのが流行したことがある。
私も小学生の頃、お年玉を貯めて短波ラジオを買った。もともとは大人の趣味だったのだろうが、電気メーカーが争って安価で性能のいいラジオを発売し、流行は小中学生にもひろがっていったのである。今思えば、アマチュア無線に憧れていた少年たちが、免許がいらず無線機ほど高価ではないラジオに流れていたのだと思う。メーカーもそれを知ってか、発売される製品はどれも無線機のようなデザインだった。

放送局の中には、日本語のプログラムを組んでいるところがあった。今とは異なり、リアルタイムに海外の情報を入手するためには、何がしかの努力が必要だった時代である。まして子供にとって外国はあまりにも遠く、スピーカーから聞こえてくる世界各国のニュースやエピソードは実に新鮮であった。私はラジオ・オーストラリアの日本語放送でワライカワセミとエアーズロックを知り、即位したヨハネ・パウロ1世の声をバチカン放送で聞き、BBCが毎年4月1日に1つだけ嘘のニュースを読み上げることを知った。

日本語放送を聴く一方で、雑音と混信の中から聞こえてくる奔流のようなスペイン語やアラビア語、そして決まった時間に流されるコーランの詠唱にも興味をもつようになった。もちろん意味はわからないが、外国語を聞くという非日常の体験に、不思議な魅力を感じたのである。今でもコーランを耳にすると、銅線を巻いた釣竿のアンテナを窓から伸ばし、薄暗い部屋の中で(蛍光灯をつけると電波にノイズが入るのだ) ラジオにかじりついていた頃を思い出す。

もうひとつ忘れられないのが、社会主義諸国の日本語放送である。自国を賛美し、ライバル国を罵倒するアナウンサーの声には、違和感というより恐怖を感じたものだ。日本ではまだ社会主義への幻想が生きており、ソ連や中国の政治体制へシンパシーを感じる人々も多かったが、そのような大人に対して、少しづつ疑問を持ち始めるきっかけとなっていった。

続きは次回。

yamashita


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コメント

はじめまして

ニッポン放送の現社長が現役アナウンサーだった頃、深夜放送全盛時代、いつも聞いていた局の周波数のすぐ近くが北京放送の日本語放送でした。電波が強力で、深夜になると割り込んでくるような感じで..。

あちらでは文化大革命、こちらでは全共闘。北京放送アナウンサーが「革命的な学生たちが武装警官隊を殲滅し...」などと熱烈支持をぶち上げていました。

遠い昔の話で恐縮です。

投稿: sanpomichi2005 | 2005/04/12 14:24

sanpomichi2005さんはじめまして。書き込みありがとうございます。

0時をすぎると、全国のNHKが放送を終了して(昔は終わるのが早かったですよね)、韓国や中国の放送がよく聞こえたのを覚えています。小学生にはけっこう刺激的な内容でした…。

亀淵氏のDJをお聴きになっていたということは、sanpomichi2005さんは私より先輩の方のようですね。私も従兄の影響で、眠いのに無理をして深夜放送を聴いていました。

投稿: ユウユウ | 2005/04/13 18:03

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