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2005/03/09

ローレライ雑感 その2

作者がこの作品を書き上げるのに、どうして1000ページ、原稿用紙にして2600枚余りを費やさざるを得なかったかということに、まず興味をもった。

正直言って、この作者はおとなを描写するのが明らかに不得手であった。前作までは、若者を介在させて大人の登場人物の存在を際立たせるという手法を繰り返していて、それがどうにも鼻についたものである。
『ローレライ』 では、細密な書きこみによってそれを克服しようと考えたのではないか。ある程度成功しているように思えるが、その結果として、読者の想像力の入りこむ余地を大きく奪ってしまった。
登場人物たちは、敗戦必至の状況下で戦うことの意味を、死ぬことの意義を考える。「戦争の落とし前」 をつけるために策謀をめぐらす者もいる。過去さまざまな作家によって取り上げられた、冒険小説の重要なテーマの1つである。ところが、この作品ではそれらが全部あからさまに「説明」 されてしまうのだ。実に饒舌に。戦地で地獄を見た兵士の体験を、どうしてすべて描写してしまうのか。戦後の日本の変化を、逐一説明していくのは何故なのか。そこまで書かなくても読者は楽しめるのだが。
その一方で、『亡国のイージス』 に続いて、もっとも重要な登場人物の行動規範が、(なんども繰り返し語られているにもかかわらず) どうにも弱く、説得力に欠けていたりする。

先の戦争と日本人という題材では、村上龍の『5分後の世界』(幻冬舎文庫) がある。日本が無条件降伏という道を選ばず、戦い続けているという世界に迷いこむ男の話だ。この短い小説の中盤に、先の戦争とは何か、敗戦とは日本人にとってどういう意味があったのかということを読者に突きつける、きわめて重要な部分がある。
村上はこの部分をただ1行で片付けているのだな。そしてそれが実に大きな効果をあげているのである。
(まあこの人は、この手の啖呵とハッタリの名手ではあるが)

福井は「アニメと小説を等価と考えるはじめての小説家」 だそうだ。元来『終戦のローレライ』 は、映画化を前提とした「第二次大戦・潜水艦・美少女」 の三題噺として構想されたというから、映像的・アニメーション的なのは理解できる。前回述べたように、今後エンターテインメントの分野では、このような作家がますます増加するのだろうし、否定はしないが、映像と活字では嘘の積み上げ方が明らかに異なると思うんですよね。読んでいて違和感を感じた部分が多々あった。私は完全に活字派の人間なので、アニメーションの方法論をそのまま取り入れたような小説は少々辛いのですよ。

しかし、これくらいアニメっぽくて説明過多でないと感動できない読者が、これからは増えるんだろうな。

次回は映画の話です。


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