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2005/03/19

ロマンスカーの思い出

箱根という観光地のもつ意味あいを、関東以外の人に説明するのは難しい。

日帰りでも宿泊でも楽しめる、山と谷と湖のある温泉地で、都心から1時間半ほどで着いてしまう。たとえば関西地方だと、どの辺にあたるのだろう。大阪中心部から同じくらいの距離の観光地といったら、琵琶湖のほとりか若狭湾周辺、南なら和歌山の御坊あたりだろうか。

東京都下に住んでいた私にとって、箱根の記憶はつきない。ロープウェイやケーブルカーに歓声をあげた家族旅行、強羅公園や彫刻の森を女の子と散策した日帰りの旅、友人たちと騒いだ芦ノ湖湖畔のコテージ。どれも懐かしい思い出だ。
何度か行った家族旅行は今でも忘れられないが、すぐに思い出すことのできる風景は箱根の眺めではなく、国鉄新宿駅の雑踏から厚いガラスで切り離された、小田急線のコンコースなのだ。瞼の裏に浮かぶのは、革ケースに入ったニコンを肩から下げて特急ホームを歩く開襟シャツの父であり、(あのときの父は今の私より若かったのだ)小さな籐のバスケットをさげた妹の手を引く、ワンピース姿の母である。30年前の、あの暑い夏の日。
私はといえば、なくすから渡しなさいと言われながらも決して手放さなかった、はこね号の緑色の切符を握りしめて、先頭が展望車になった電車がゆっくりとホームに入ってくるのを見つめていた。作家のイアン・フレミング(注)が、「まるで火星の列車のような」 と感嘆した優美な電車であった。

これは父に頼んで撮ってもらった写真。
(右端に写っている女の子が、典型的な夏のお出かけスタイルなのがおかしい)

odakyu

そう、箱根といえばロマンスカーなのである。東京の人間にこれほど知名度が高く、そして愛された観光列車はあるまい。

新宿駅を発車すると、スチュワーデスのような濃紺のコスチュームを身にまとった客室乗務員の女性がやってきて、ご注文は、と尋ねる。この列車は車両の片隅にカウンターがあって、そこで準備した軽食をサービスするのが特徴だった。座席の窓辺にある小さなテーブルには、あらかじめメニューが備え付けてあり、注文の品を載せた銀のトレイを手に、女性乗務員は揺れる列車の中を器用に行き来していた。今思えばなんと素敵なサービスだったことか。
母は紅茶を、父はウィスキーを頼むのが常だった。これらの飲物は紙コップではなく、ちゃんとソーサーに載った陶器のカップと、クラッシュアイスの入ったウィスキーグラスでサーブされていたのである。父は空になったウィスキーのミニチュア瓶を私にくれた。それはロマンスカーのイラストが入った紙ナプキンとともに、私の宝物になった。
飛行機など乗ったことのない子供たちにとって、夢のような乗り物だったのだ。

10年ほど前だったか、小田急の新しい特急電車が完成したことをTVのニュースが報じていた。小田原あたりはずいぶん前から通勤圏になり、特急列車も観光からビジネス用にシフトせざるを得ないというのである。新型車には展望車はなく、「走る喫茶室」 とよばれたあのサービスもなくなっていた。
その後、電車で箱根に行ったことはない。




本日の朝刊に載った広告です。どうやらロマンスカーが帰ってきたらしいですね。
(展望室と軽食サービスを復活させたそうです) 

久しぶりに箱根に行くかな。

05spring_800


注・イアン・フレミング…  007シリーズで有名なイギリスの大衆小説家。シリーズ最終作を校正中に心臓麻痺で死亡し、映画化による世界的な007ブームを知ることなく世を去った悲劇的な人物である。1960年代初頭に来日し、その印象をもとに『You Only Live Twice』(007号は2度死ぬ)を書いた。彼は帰国直前に箱根を訪問したが、以下はそのときの感想。

「…東京に帰るときに乗った列車ほど美しい列車を、わたしはほかに見たことがない。
―明るいオレンジ色に塗られた流線型のアルミニュームの車体は、まるで火星上を走る列車を思わせたが、実際にはこれは小田急という民間の鉄道会社によって運転されているのである。車内に流れる音楽と、赤紫色のユニフォームを着て日本茶やウィスキー(わたしはスコットランドの出身だが、あえていう、日本のウィスキーはなかなかいける) を配って歩く美しい娘さんたちを見れば、わが英国の鉄道もきっと教わることが多々あるに違いない」 
(エラリイ・クイーンズ・ミステリ・マガジン 1965年臨時増刊号・007号特集より)

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コメント

箱根、実はまだ行ったことがないのですが(昨春関西から越してきました)、
拝読していると、なんだか懐かしいような気持ちになりました。
ユウユウさんにとって、思い出深い場所なのですね。
私も一度、行ってみたいと思っています。
この冬、温泉にでも出向いてみようかな・・・。

投稿: しづ | 2005/10/14 00:30

東京っ子には、子供のころに家族旅行で箱根に行ったことがある人が実に多いんですよ。この文章を書いたあと、おなじような経験をした方からいくつかメールを貰いました。

投稿: ユウユウ | 2005/10/15 23:17

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