THE WHO のライブ
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きらめく港の夜景を見下ろす高台で、こちらを振り返り婉然とほほえむ小雪嬢。
「ノド、渇きません?」
ドン。
最後の音は、オンザロックを手にTVを見ながら呟くわたくしのセリフである。小雪を崖から突き落としてるの。
さて、国産ウィスキーの話となると、たいてい壽屋と日果の良し悪しについての議論になってしまいます。私は楽しく呑めれば何でもいいというタイプでありまして、切らしていたウィスキーのボトルを買って帰るときの幸福感は、それがラフロイグでも山崎や竹鶴の12年でも、ホワイトでもトリスでもあまり変わりません。
ただ、とてつもなく美味しい酒がひとつあるんです。それは、晩秋の野外で呑むホットウィスキーなんですね。
キャンプの料理は何でも美味しい、と妻がよく言います。匂いがこもらずに風で飛んでいくからだ、と。確かに、台所で料理をしていると、作っているときの匂いだけで結構おなか一杯になったりしますもんね。
両手の掌でつつんだ、暖かいマグカップから香り立つウィスキーの香りは素晴らしいです。機会があればお試しください。
『荷風!』12月号(日本文芸社) が発売中です。今回は浅草大観光祭にあわせて浅草・両国特集となっています。
私の連載・建物探訪ですが、20年前に撮影した六区の映画館と、地下鉄ビルの写真が押入れの天袋から出てきたので(死ぬほど探したんだけど)、現在の写真とともに掲載してもらいました。
何というかなあ、今号は実に濃いんですよ、書き手の方々の思い入れというのかな。書店にありましたら、ぜひごお求めを。
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といっても、若い人は全然知らないだろうね。
2ちゃんねるのニュース速報版にしみじみとしたいいスレッドが立っていて、それをまとめて下さった人がいます。
http://sky.geocities.jp/yamada_god_of_bcl/
こちらは以前書いた、私の当時の思い出。 → (1)(2)(3)(4)
お年玉で海外短波放送を聴けるラジオを買った小学生も、いまや40代前半。ずいぶんと背伸びをした趣味であり、高いおもちゃではあったけれど、得たものは多かったように思う。ご冥福をお祈りします。
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この夏はひさしぶりに歯医者に通っています。
近所に開院したばかりの新しい歯科医で、先生は30代半ばぐらいだろうか。この人のお父さんはやはり近所で内科医を、お母さんは小児科医をやっていて、母と息子がそれぞれお世話になっています。
どうやらあんまり虫歯にならない体質のようでして、検診はしているものの、歯を削ったり埋めたりという、いわゆる虫歯の治療は10年ぶりくらいである。その前は浪人か大学生の頃だったような。
しかし最近の歯科治療はすごいですね。いきなり頭のまわりをぐるぐる回るSFチックなマシーンでレントゲンを撮られるわ、モニタを見ながら丁寧に解説されるわ、昔ながらの治療法を続けているジイさん先生の病院しか行ったことがなかったもので、新鮮な驚きでありました。妻に言わせれば、そんなの今どき珍しくもないそうですが。
『マラソンマン』(1976)というダスティン・ホフマン主演の映画があった。ニューヨークを舞台にしたナチ残党モノのサスペンスで、ローレンス・オリビエ卿が「死の医師」 メンゲレあたりをモデルにした人物を怪演している。ナチお抱えの医者が、戦後国外に逃亡して歯科医に身をやつしているという設定である。あまりいい出来とは思えなかったが、ユダヤ人街の宝石店の描写などで息を呑む場面がいくつかあった。
でも、ネット上でこの作品のレビューを見ると、主人公が被害にあう『歯医者の拷問シーン』 について語っている人ばかりなんだな。もう音を聞いてるだけでも嫌だと。歯の治療がトラウマになっている人は多いんですね(注)。
私はそのへんがあんまり分からないのです。虫歯をそれほど悪化させたことがないせいか、あるいは鈍感なのか、削られてもそれほど痛いと思ったことはない。だから、くだんのシーンも別にショックを受けませんでした。ふーん、てなもんで。もちろん楽しくはないですけれどね。子どもの頃、あまり歯医者に通うという経験がなかったからかな。
虫歯にならないと過信していると、年をとってからえらい目にあう人が多いらしい。注意せねば。
注… 昔、アメリカのあるカルト集団がアジトに籠城し、集団自殺する事件があった。警察がまわりを包囲していたのだが、彼らはアジトのまわりに大量のスピーカーを並べ、警官隊にさまざまな騒音を大音響で浴びせて対抗したらしい。警官隊を最も悩ませ、ノイローゼ寸前にしたのが、歯の治療の音だったという。

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夜汽車の話を書いたので、鉄道がらみの話をもう少し。
半年ほど前のこと、先輩ライターの白川淳氏から原稿執筆の依頼があった。白川さんは鉄道系のライター、かつ研究者として著名な人物で、ベストセラーとなった労作『全国保存鉄道』(JTBパブリッシング) シリーズは、日本の歴史的鉄道車両のデータベースとして高い評価を受けている。
実はこの人は高校の先輩でして、私をモノ書きの道に引っぱり込んだ、大変ありがたいお方でもあります。家は近所なのだが、電話をかけてもたいてい海外に出ているか、締め切りに追われていてお会いできない。たまに連絡をくれるときはこっちが忙しかったりして、年に数回会うか会わないかという関係が十数年続いている。
ときおり彼の魔窟、もとい仕事場を訪問することもあったが、これがまた尋常ではない量の資料に埋もれた怪しの屋敷で、お客の居場所がないのである。さらに彼がどこからか面白い写真やら本やらを次々と取り出してくるものだから、たいてい収拾がつかなくなり、私は恐れをなして早々に退散するのが常であった。
さて、原稿を頼まれたのはやはり鉄道の本で、全国で活躍している古い車両や保存施設を紹介する書籍だった。「保存鉄道」 シリーズの最新版にあたるのでしょうね。打ち合わせの上、20ページほど担当させてもらいました。

『全国歴史保存鉄道』(JTBキャンブックス)
書店にありましたらぜひお求めください。いい本です。
今回お引き受けしたのは、紹介する車両や施設のほとんどが、むかし旅をしていたときに乗ったり訪問したことのあるものだったからなのです。もう懐かしくて、自分の連載よりよっぽど筆が進んでしまった。押入れの天袋につめこんでいた鉄道関係の資料が、はじめて仕事の役に立ったのも収穫でした。かれこれ20年近く死蔵されたままで、そろそろ処分しようかと思っていたのだ。
楽しく仕事をさせてもらいましたが、ちょっと複雑な気分なんだよね。旅に出るとどこでも見ることのできた機関車や、いつも当たり前のように乗っていた電車やディーゼルカーが、日本各地で保存されたり、文化財になっていたりするのですよ。自分にとってはそんなに昔の話じゃないんだけどなあ。
鉄道ブームというけれど、最近のファンの人は、わたしたちが若い頃に当たり前だった旅の幻影を追っている人も多いようで、なんだか少し気の毒な気もします。
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中央区の図書館で、一日中資料と格闘する。新聞の縮刷版や古雑誌の細かい文字を読むのに、ついに虫眼鏡が必要になってしまった。
夕刻、東京駅で久しぶりに九州行きの夜行列車に遭遇。隣のホームから出発するところを眺めていたが、乗客は半数以上が家族連れで、車内では子供たちが眼を輝かせて外を見ている。本当に楽しそうだ。
(明らかにお父さんのほうが興奮している家族もいましたが)
よくよく考えてみると、40数年の人生のうち、旅行に、仕事にと、私は百数十日を夜汽車の中で過ごしている計算になる。そのうち半分ほどがこの寝台列車なのでした。
思い出に残っている列車をいくつか。
中学生のときに、初めて一人で乗った大阪行きの急行列車
先日廃止になったときは、ニュースで大きく報道されていて驚いた。私が最初に乗ったときは、3段ベッドの古い車両でした。
列車の最後部が展望室になっていて、夜明けまでそこで外を眺めていた覚えがある。はじめての一人旅でずいぶんと興奮していたんだね。この車両は大宮の鉄道博物館に展示しているらしいので、そのうち見に行きたい。
(あの博物館は、こういった世代が子供を連れて行くので人気があるのです。よく考えているよ)
便利な列車だったのでずいぶん乗ったが、昨年のはじめに取材で大津まで利用したのが最後になった。大津あたりに停まるというのが、昔ながらの急行列車らしく味わいがあったのだな。
韓国旅行を繰り返していた大学時代に、仲間と利用していた博多行きの特急
下関で降りて、関釜フェリーに乗り換えるのである。しゃれた食堂車がついていて、出発してしばらくすると、ウェイトレスの声で営業開始の放送が入る。ビールを注文して、横浜あたりで乾杯するのが恒例だったが、横浜駅のホームは会社から帰宅するサラリーマンが列をつくってこっちを見ているので、少々気恥ずかしかった。この列車も今はもうない。
ベッドが個室になっている車両がつながっており、居心地がいいのでいつもそれに乗車していた。いちど10数人で渡韓したときは、全員分の個室の切符を何とかして入手したいと思い、発売日にあちこちの駅や旅行代理店で手分けして購入した。個室は人気があったので、最初に売れてしまうのである。シーズンオフだったためか、なんと一両分の部屋が全部とれてしまい、あわててキャンセルしましたが。
妻と乗った札幌行きの特急列車
ある年の冬、津軽半島の大雪に遭遇して列車がストップし、札幌到着が6時間ちかく遅れたことがあった。北海道の海を眺めながら食堂車で朝食をとる予定だったのに、いつまでたっても青森駅から列車が出発しないので(夜が明けているのにまだ本州にいた)、駅のホームを見ながら朝定食を食べた。
わたしたちはとくに予定なしの旅行だったうえ、広めの2人部屋をとっていたので、車窓の大雪を眺めながらゴロゴロと、ベッドやソファで酒を飲んだり、おやつを食べたり昼寝をしたり、それはそれは贅沢な時間を過ごしました。乗客の半数以上は、あきれて途中で降りてしまったようで、札幌に近づく頃には列車はガラガラになっていたが。
最近のJRは、台風や大雪などがあると長距離列車はすぐに運休するので、もうああいう経験はできないだろう。
鉄道ファンの人なら、どの列車の名前もすぐにわかるでしょうね。
発車の2時間近く前からホームに停まっていて、出発前に勝手に寝床に入っていい寝台列車とか、長い貨物列車のうしろに、2両だけお客さんの乗れる車両がつながってる列車とか、昔はいろいろな夜汽車があって面白かったです。
あと2年か3年したら、うちのチビも乗せてやりたいと思っているのだが、その頃はおそらく東京発の列車はなくなっているだろうな。時代の流れとはいえ、淋しいものである。

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オリンピックの開会式に運動会らしさが残っていたのは、70年代初頭くらいまでだろうか。ロス五輪あたりから始まったエンタテインメント化は毎回着実にエスカレートし、いつの頃からか、その国の歴史絵巻鑑賞を強いられる場になってしまった。
今回は中国ということで、かなりの覚悟をもって観た。まああの国の人の演出にしては、かなり自重していたと思うよ。興味深かった点をいくつか。
プロローグの太鼓群舞
2008人いたそうです。ああいうのを日本で同じようにやろうとすると、YOSAKOI風味になってしまいます。
何を叫んでいるのかと思ったら論語だったのか。孔子が終わったら、『次は孟子のようです』『つづいて荀子』『老子』 と、延々と続くのではないかと見ていて不安になった。
中国4000年歴史劇
山車か何かに載せられた、北京原人の頭蓋骨の巨大なハリボテが入場門から登場するのではないかとハラハラしましたね。
筆と紙、活版印刷、羅針盤など、欧米人にもわかりやすい中国ルーツの文化や技術を次々と紹介していく趣向だったが、けっこう精選していましたな。本当はもっともっと取り上げたかっただろうに。これはわたしたちがつくったのだよ、これもわたしたちがつくったのだよ、と。
自文化への限りない自信と、西欧諸国への反発や怨念がないまぜになった、ある種の凄みを感じさせるパフォーマンスでありました。
アヘン戦争や抗日運動の一大パノラマ劇でもやってくれたら、大反響を巻き起こしたろうが。
やたら上がる花火
オープニングの、会場に向かう足跡の花火は面白かった。しかしあれ、打ち上げてる場所はあきらかに建物が密集している市街地や道路ぞいだぞ。取り壊したフ-トンの跡地だろうか。
選手入場
入場の順番が、漢字で表記した国名の1文字目の画数ってのは面白い。よく考えたら、アルファベット順である必然性はないのである。
選手団がダラダラと歩くのはお約束になってしまったが、やたら長い待ち時間を考えると、キビキビなんてやってられないのだろうね。
ロス五輪のときだったか、入場行進中にカメラで記念写真を撮った日本選手が、JOCに譴責されて議論をよんだ。各国でダラダラ歩きがはじまった頃だったが、日本だけは妙に生真面目な隊列行進をやっていたのである。
聖火
選手宣誓が終わり、いよいよ聖火の入場と思ったら、へんなヒラヒラ踊りが始まったので、げっそりして新しい水割りを作りに台所へ行く。
最終ランナーが空を飛ぶことは予想できた。というより、もう他に趣向はないだろうよ。それにしても、油条(中国の揚げパン) みたいな聖火台でしたな。さすが中華は火力が強い。
体操の金メダリスト、李寧の登場は懐かしかった。ロスでは具志堅と同点首位で、一緒に表彰台に上がっていた。マシーンのようなキレのある鞍馬に感嘆したことを覚えている。童非って人もいたな。二文字の中国人名って、妙に印象に残るのだ。
女子バレーでは、スパイクを打つと絶対得点となる郎平が鮮烈だった。笑顔も化粧っ気もなく,いかにも社会主義国家の代表というイメージだったこの女性は、現在アメリカ女子バレーチームの監督。自身のHPで、温和な笑顔を見せています。
あまりにも長く、過去のさまざまなショーアップ開会式の総集編のようでしたが、それでも演出・観客ともに盛り上がりを欠いた長野よりはずっと面白かった。こういうショーをつくるのも盛り上げるのも、日本人には向いていないんだとつくづく思う。
そうそう、今回見ていて感じましたが、資本主義化がすすむとマスゲームが下手になりますな。
『荷風! Vol.17』(日本文芸社) が好評発売中です。 今号はオリンピックにちなみ、特集は「1964”東京五輪の頃”を歩く」 となっております。
わたくしの連載・東京建物探訪では、オリンピック直前に建設されたホテルや公共施設を紹介しています。ホテルオークラ周辺には警察官が大勢いまして、取材の時にはずいぶん睨まれました。アメリカ大使館の隣りですもんね。
表紙は建設中の代々木体育館。珍しい写真です。
東京五輪の競技施設は、第8号の特集「昭和30年代の東京」で、徹底的に紹介しました。バックナンバーが少々残っているようです、興味のある方はぜひどうぞ。
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またもやTシャツの話です。
武道館のチケットがとれたのでひとりで盛り上がり、The Who のシャツが欲しくなってしまいました。ミュージシャンのプリントシャツなんて、10代のころに買ったジョニー・サンダース以来であります(注)。
注… こいつはアメ横で買ったのだが、ひどい商品だった。プリントがすぐにボロボロになったのはともかく、縫製がいい加減で、繊維が斜めになってるもんだから、着ていて非常に気持ちが悪い。それで当時のバイトの日給くらいしたのだ。悔しかったなあ。
オフィシャルサイトを見ていたらショップがあって、さまざまなグッズを販売している。シャツのコーナーを見てみたが、どのデザインもあんまりいいとは思えなかった。あまりモッズくさいのも嫌だし、どうしたものかと考えた結果、家のプリンタとアイロンプリント用紙で自作してみることにしました。近所の電気屋で用紙を買いましたが、2枚(A4)で1000円近くするんですね。
で、完成したのがこちら。(写真はクリックすると拡大します)

いかがでしょう。
アカチャンホンポ謹製の白Tシャツは丈夫です。
やっぱりここは、上をむかせて俯瞰写真にするべきだったかな。
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商用データベースで調べ物をするため、このところ聞き分けのいいシトロエンBXを転がして図書館へゆく。
いつものようにCDで音楽を流していたら、カーステレオの音が何だかチープになっていることに気がついた。図書館の駐車場で点検してみると、どうやらアンプに電源が入っていない模様。ヒューズが切れたらしい。
後付けのパワーアンプである。譲ってくれた前オーナーがオーディオファンだったせいか、この車のオーディオシステムは古いながらも充実していて、凝ったスピーカーが8ヶついていたりする。
10アンペアのヒューズを交換すると、元の厚みのある音色が復活。ジョニー・グリフィンなんぞを聴きながら上機嫌で帰路につき、自宅の駐車場でもういちどチェックしようと、運転席の下に置かれたアンプに手を伸ばした。
うわっ、あちちち。
アンプが沸騰したヤカンのように高熱になっていた。何だこりゃ。
車の不調ならともかく、オーディオの過熱で車両火災にでもなったら馬鹿馬鹿しいので、ヒューズを抜いて様子をみる。交換したばかりのヒューズはまたもや切れているが、直前までアンプは稼動していたのである。うーん、わからん。ショートだろうか。しばらくいじりまわしていたが、暑さと蚊の襲来に参ってしまい、温度が下がったことを確認して帰宅する。まあ、オーディオは直んなくても車は走るからね。
子どもを寝かしつけた後で水割りを呑みながら、『だれにもできる腹話術』(腹話術研究連盟編著・れいめい書房) を読む。数多く収録された腹話術人形の白黒写真が実に不気味である。われながら何でこんな本を借りたのかさっぱり分からない。
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